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まず、シン=新or真?というだけあって、ゴジラの特徴がよく考えられていて面白い。それが東京湾から都心に向かって、街を徹底的に破壊しながら移動してくるのが、わたしのように、この街にウン十年と生きてきてウンザリしている人間には爽快だった。また、従来のゴジラ映画では、対応する政府関係者が一色だったが、本作は、首相やその周辺と若手官僚たちとの間に違いを出した点も、工夫している。結果、彼らが頑張れば日本も大丈夫というネオ・ナショナリズムになったが。
3・11を機に福島を離れた人たちは、生活上の様々な問題だけでなく、残っている人たちに対して、どこかで後ろめたい想いを抱えているのではないか? だが、これまで3・11以後の福島に関わる映画では、それを描いたものはなかった。その点で、本作が初めて主題にしたといっていいが、それを頼りない男子三人組を引き連れた少女の旅として、急がず、浮かび上がらせたのがいい。愛犬への想いと共に親友を裏切ったという想いを抱える彼女に較べ、男子どもが幼すぎる感はあるが。
死者の脳内に蓄積された記憶を探るというコンセプトは面白い。むろん、記憶が宿るのは脳内だけか、というギモンはあるが。で、見ている間は、華麗に繰り広げられるヴィジュアルに目を奪われたのだが……。時間が経つうちに、それこそ、こちらの記憶が曖昧になり、端正な着こなしの生田斗真の横顔とか、汗の匂いが鼻につきそうな大森南朋の刑事とか、ベッドで手招きする織田梨沙などの姿は鮮やかに思い浮かぶものの、肝腎の物語は縺れた糸のようにこんぐらかってほぐせないまま。
あれは、一九六七、八年頃だったと思うが、やくざ映画の流行を問題視するテレビの報道番組で、高倉健が、非難がましい質問をぶつける司会者に、生真面目に応じ(弁明)ていた姿を思い出す。当時、世間一般の「良識」は、やくざ映画に否定的だったが、そんななかで、高倉健はひときわ輝いていたのだ。わたしが、没後の健さん賞賛の大合唱に違和感を覚えたのは、そのような歴史が忘却されていたからだ。それに似た印象を、スクリーンに躍動する健さんの姿を欠いた本作にも感じる。
例の伊福部メロディ、来たぞ来たぞゴジラがまた来たぞ♪と言ってるという話だが、物語上は今回が初上陸。つまり現代日本に放射能怪獣投入というのがコンセプトと分かる。物語のネタは割らないが、怪獣出現を予見した孤高の科学者(写真で岡本喜八が出演)の謎のメッセージをオタッキーな若者たちがひもとく、という作り。脇の登場人物が豊富すぎてかえって気が散るものの、東宝怪獣映画ってこうなんだった。シンは新というより進化で、突然変異を繰り返して力を増すゴジラが新機軸。
男の子の純情は下ごころとセットになっていて可愛い。そういう自覚はないのだろうが。しかしこの物語は設定がずさん。迷い犬を探しに故郷福島に旅立つ少女と、それについていく少年三人。やがてカメラマンになるであろう少年以外はキャラが立ってない。だったら二人旅でよかった。それならもっとはらはらしたと思うのだ。主人公はこの少年だが、劇的な葛藤は全て彼が恋する少女の方にあるため、どうにも落ち着かない。福島の田園風景と川村ゆきえ似の美少女のルックスでもった映画。
予算をかけた美術と特撮はさすが。配役も豪華。しかし物語が複雑すぎ、主人公が二人、ということの問題点が目立つ。生田の過去、岡田の現在、どちらかで良かったのではないか、だって全然違う話ではないか。エッチな新人織田梨沙のカラダのおかげで得した気分になれたものの。ただ、特に警察のかたを持つ気もないが、日本のおまわりさんはここまで無能ではないよ。確かに大森南朋みたいな困ったヤツはいるかもしれないが。死ななきゃ事件の真実が分からないようじゃ、そりゃ困るよ。
健さんは日本国民のみならずアジア人からハリウッド人種にまで愛されたヒトであったと。それは分かった。だが、ファンから評論家、監督に至るまで全コメンテーターからこんなに絶賛されちゃ、かえって故人が可哀想。むしろ実感から出ている分だけ東映系の役者さんの発言が辛口でも面白い。それと長年の付き人一家との友情には心にしみいるものがあったな。その分スコセッシ監督の無駄話にはイライラさせられる。どうせなら澤島忠監督の話をもっと聞きたかった、今からでも是非。
震災と米国版を踏まえた温故知新の快作。状況描写に徹したのは実写監督実績からも賢明。主演コンビのアニメ的演技を軸に出演者全員早口+アップ多用で本篇を記号化し、情報と記号を駆使する庵野アニメ演出を応用したのが勝因。84年版「ゴジラ」と同じ轍を踏まぬよう閣僚より官僚主体で描き、国家ならぬ〈この国〉と強調するも庶民の顔は匿名的。庵野のノンポリぶりで良くも悪くも中和させたが。ゴジラのチェレンコフ光に畏怖し、ヤシオリ作戦に落涙した私は今から5回目の再見へ。
福島を題材にする是非を監督がプレスで断っていたがゴジラで露骨に暗喩する時代に気後れする必要なし。ジュヴナイルとしては佐藤菜月が魅力的だし映像も良い。だが、福島に舞台を持っていくことに気を取られ、そこへ向かわせる犬やカメラといった彼らにとってのお宝の扱いが難で、犬に対する佐藤の思いも伝わらず。数日の汗にまみれた旅を、顔を黒く汚す程度で汗臭さも出さなければ、それを気にする風もないのは手抜きと言われても仕方ない。ヒロインの身勝手さばかりが目につく。
「4匹の蝿」の網膜残像から犯人を追う設定を思い出させる脳内記憶の映像化という設定は面白いが高度な技術がある割に捜査員の脳を接続せねば再生できず、証拠採用もできないとは無用の長物。主観で左右される記憶は不正確と説明されるが恐怖心が現実を歪曲して捜査を迷走させたり、異世界の深淵を覗かせてくれるわけでもない150分に退屈。近未来をありきたりなSF的風景にしなかったのは正解だが狭い画角のみで描こうとするので世界が窮屈。岡田の演技はいつものように違和感。
スコセッシらがカメラに向かって健さんと呼びかける甘ったるさには参ったが海外在住監督ゆえか、聖人化は抑制気味。海外では知名度が高くない実情を踏まえた作りになっているのがいい。健さんの懐疑心と信仰心に、東映離脱と晩年の作品選択への疑問もある程度想像がついてくる。米版「ゴジラ」は兎も角、「ミシマ」の従来と異なる降板理由が明かされる証言も興味深い。薬師丸ひろ子に振り回されるおじさん役での再共演企画を断る健さんに、同じ歌を唄い続けると決めた俳優を思う。