パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
イヤー、カンシン、カンシン! プロデューサーは感心したろうが、そのぶん、こっちは寒心。なにせ省エネ映画も、ここまでやれば撮影日数も短縮、編集も楽チン、と製作側にはいいことずくめだものね。省エネで行くには、同じショットを使い回せばいいって、うまいこと考えたもんだ。もとが他愛のない話だから、そうなるって? だが、他愛ない話を工夫して他愛ある(!?)ようにするのが、映画屋じゃなかったのか、なんて言っても馬の耳に念仏だろうな。映画も舐められたものだ。
カフカの時代とは異なり、21世紀の日本では、断食芸人は、時代相を映し出す鏡として地方都市の片隅に座ることとなる。すると人がワラワラと寄ってきて騒ぎになる、というわけだが、このあたり、足立監督にしては、いささか捻りが足りないのではないか? いまの世間の空気は、もっと冷淡で苛酷な感じがするのだが。後半になると主題が絞り込まれていくのだが、鮮明な輪郭を示す興行師や呼び込み屋に比べ、僧侶の存在の意味がわからない。和田周が印象深い顔をしているだけに。
沖縄の基地問題を主題にしたドキュメンタリーなどより、はるかに濃厚な、沖縄の空気がある。それは、たんにキャストもスタッフも全員が沖縄出身だからというわけではない。むろん、映画作りのベースとしては、それも無関係ではないが、見ていて直接感じるのは、画面を構成する独特の間である。それが沖縄の空気を醸し出すと同時に、わたしのように外から見ている者が口にする基地問題についてのあれこれの言葉を突き放す、いま、そこに生きている者の想いが滲み出てくるのだ。
新社長の誘拐を企てる主人公に扮する藤本涼の、名前とは裏腹な熱演で、ミステリーが眼目ではない、ということがわかるのだが、そうなると、何がホンスジ? と眉根をこすることになる。結局、血縁で固めた同族会社のうちに隠された闇ということになるのだが、それも、主人公の実父が判明した時点で、伝説のブルーダイヤを巡る話も後景に退き、ただの家庭劇になってしまう。なんか、もっと面白く出来たはずだったのに、この腰砕けが残念。前田吟の渋い演技が光ってはいたけれど。
あと十数年もしたら待ち受けていることかもしれないが、自分の娘がこんなしょーもなさげな男どもとねちょねちょしてたらガキも娘もまとめて張り倒す。が、まあ本作は並の下くらいの普通の映画。ヒッチコック映画や「紳士は金髪がお好き」などのように、アメリカ映画のクラシックに連綿と存在する、ブルネットとブロンドの女優二種をその性格分け(黒が隠微な情熱家、金がアマちゃんもしくはクールな打算家)とともに観て楽しむことを、現代日本男子でやったことは非常に興味深い。
足立正生監督の前作「テロリスト幽閉者」で抜群であったのは山本浩司。俳優の起ち上げる虚構の質が監督のそれと一致するのだろう。完全に世代も立ち位置も違うのに奇妙なめぐりあわせだと思った。本作はその山本が中心に来た。確固たる不可思議。スタイルはいまの映画とは明らかに違うが、いま、ここ、を描くのだという意志はどんな最近の映画よりもある。結果、単に現在に似ているということとは異なる、皮を剝いだ現実を見せようという映画が現れる。価値のある見心地の悪さ!
重大な問題であり作り手にとって切実な題材であろうが拙かったという印象。技術というよりは、取り組み方に腰の据わらなさがあったのかも。神話的感性やファンタジックさを主人公たち側からは正しい直観として描き、逆の陣営の、政治性や因習に捉われている者たちのそれは邪教か狂気として描くことにはもっと周到さが必要かと。辺野古は架空の名にせず辺野古のままでいい。沖縄は日本の生贄、沖縄の対基地運動も生贄を必要としたという指摘は鋭い。その鋭さでアメリカをも刺せと。
本作に対し「蘇える金狼」という映画を、ある種の基準として適用してしまった。既得権益に対する怨念と野心の燃え上がりを観たい。しかしそれは裏切られる。主人公が犯罪で敵対する組織は彼の肉親たちなのだ。これは難しい。明確に判定できないが結局多くの事柄が「甘え」に帰着したのではと疑う。作り手に、兄弟同士殺し合うまでのことを提案したかった。しかし血縁内の政争という次元のバトルと面白さは確実にあった。主人公の台詞発話がキレ不足。前田吟が一番ハードボイルド。
「壁ドン」「顎クイ」をも超える、「耳嚙み」「首吸い」、さらには「混浴プレイ」と、過剰なまでの〝エロキュン〟を売りにした、定番の少女漫画原作モノ。「お前は俺の奴隷だ」と突如言い放たれ、出会い頭に無意味にキスされても「ええ~~っ!」と絶叫した上で結局喜ぶヒロインも、病的なまでにエラそうな男子=黒悪魔とやらも、一向に理解できぬまま本篇終了。一人一人の人物の背景や魅力を一切描かず、ただただエロキュン場面を羅列する。これは果たして映画なのだろうか? 本気で悩む。
カフカ晩年の短篇を100年近い歳月を経て、〝テロリスト〟であり、自身も幽閉された経験のある足立監督が映画化。終盤、原作に忠実なあの一言を放つ断食芸人=山本浩司には、「悪い男」のチョ・ジェヒョンにも通じる、ある種の「抜け感」はあったが、全篇を貫くアングラ、エログロ感に、断食を見せつけられながらもお腹いっぱいになったところは否めず。監督が据える確固たる核が正直摑み切れず、乗り切れず。演じる面々もどこか手探りで迷いを抱えたままでいる空気さえ感じてしまった。
どこかで、誰かが、必ず犠牲にならなくてはならない。その理不尽と悲しみ、湧き上る憤りとその果てに漂う諦観を、本作が2作目となる18歳の仲村颯悟がまっすぐな目線で見据える。沖縄の基地移設問題を「いけにえ伝説」を交えつつファンタジーに仕立て、観る者を惹きつける力量も確かだが、なにより核となるテーマが内包する絶望や無情と、独自の透明感や純粋性とのバランスの妙に唸った。監督自身「今しかないと思った」と語るように、若い魂が宿す瞬発力と可能性をひしひしと痛感。
日本初の兄弟監督と謳われる小林兄弟によるクライム・サスペンス。とのことで、コーエン兄弟ばりのウィットに富んだスリリングなノワールを期待したのだが……。軸となるのは、最初から犯人がわかっている一つの誘拐事件。その顚末を、絵で魅せるというよりは、ひたすら台詞で説明しながら展開してゆく。同族会社を形成するキレ者たちが騙し騙され、裏切り合う小気味よさを描きたかったのだと思うが、人物造形が弱く、各人の思惑が見えづらい。山本學、前田吟両氏の盤石さのみ光る。