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杉野希妃の「世を忍ぶ仮の姿」が素晴らしく一見の価値あり。ただラストで絶世の美女に戻っちゃうのが何かもったいない。セックス中毒者徳永、不実なインテリちすんも好調。三浦くんが三人の女をもてあそんだり、逆にもてあそばれたりという女難物語で、見終わると「男ってバカだなあ」とつくづく思う。京都をロケ地にして独特な日本美を取り込んだのが功を奏し、これは海外でも絶対にうけるね。惜しいのは三人の女すべて均等にネタを盛り込んだせいで一本調子になっちゃったことかな。
撮影が良く、照明も凝りまくっておりこれでも星を足した。美術設定も大がかりでかなり予算を使っているのは間違いないが、肝心の物語が未熟。ただし偽教祖さまの偽予言がちゃんと奇跡を呼ぶ、というオチには洒落が利いている。このエピソードは、氷が溶けたら何になるというなぞなぞの答えがキーになっていて、きちんと出来ていた。だが「グランド・ホテル」形式にこだわりすぎ、全体、かえって散漫な印象。さらに李麗仙があまりに宝の持ち腐れで、結構、頭をかかえてしまった私。
廃墟趣味の美術が楽しい。それは閉鎖的なアジトであると同時にそこを取り囲む世界そのものでもある。野外演劇集団にこういう人たち、いたなあと漠然と感じたのだが原作は東京グランギニョルの舞台だそうで、ちょい意外。BL風味は私の許容範囲を超えるも、カリスマが古川で反抗分子が野村というキャストは豪華である。永遠の存在たらんとする少年たちと、彼らによって命を吹き込まれるロボット、そして彼らが拉致した美少女という構成要素の微妙なミスマッチ、不均衡な感覚が秀逸だ。
原発事故による放射能で自らが住み、耕す土地を汚染されてしまった農夫が現場から語る、その様子をカメラはひたすら捉える。東京から出かけていって話を聞く若者たちの反応は最小限にとどめてあるが、彼らの存在が適切な反響板になっているのは明らか。農夫の父親は事故後、自殺をとげており、この映画は「父の言葉」を受け継ぐものでもある。絶望を語る言葉の力強さに観客は打たれる。汚れていても土地は永遠に耕され続けなければならない、という彼の根拠をしかと聞いてほしい。
〝僕〟が関わる3人の女たちの頓珍漢な独り相撲ぶりは確かに困ったものだが、それ以上に困るのは「存在の耐えられない軽さ」のダニエル・デイ・ルイスを連想させなくもない〝僕〟。一見、女に無防備なようで、イザとなると薄情で調子いい奴。で結果として困った男女を描いた困った映画、ま、コメディーと思えば笑えなくもないが、困ったことに大真面目。杉野監督本人が演じるキャラクターにしても「百円の恋」の安藤サクラのあとではね。「欲動」でも感じたが杉野監督は理屈で撮っている。
長野県白馬村のさびれかけたホテルというリアルな設定と、週刊誌のこぼれ記事にでもなりそうな曰くありげな10人の客たち。ホテルのオーナーや従業員たちも悩みを抱えていて、深刻なドラマにするか、コメディーを狙うか、監督のサジかげん。結局、門間監督はシリアスコメディーという座りのいい手法で人物たちを演出、コクやキレはないが、グランド・ホテル形式に挑戦した意欲は買う。何とかしてほしかったのは、男性モデル並のソフトモヒカン頭で登場する市原隼人。この役でこの頭?
原作コミックのルーツは舞台劇だそうで、ナルホド舞台なら14歳をかなりオーバーした役者が14歳を演じても、舞台という空間のマジックで素直に受け入れるに違いない。けれども本作は、いくらダーク・ファンタジーとはいえ、実写である。しかも年齢がドラマの大きな鍵になっている。それなのに出演者たちに少年顔はほとんど不在で、オトコ顔とおやじ顔ばかり。そんな風貌で反大人を実践する少年たちの残酷な美学を描いても、ただグロテスクなだけ。題材が面白いだけにとても残念だ。
当初、かなりお手軽に作られたドキュメンタリーだな、と思った。バスに乗って福島の農家を訪ねた学生たちが、その家と土地を継いだ息子から、原発事故後に起こった4年間の話を聞く。息子の脇に控えた母親はほとんど口を挟まない。けれども訥々と話す息子の言葉の重量感は、原発を取材したどんなドキュメンタリーより痛切で、まるでその息子の言葉が〝大地〟の呟きにも思える。そして大地は絶対にブレたりせず、逃げ出さない。にしても寝そべって息子の話を聞いていた奴は誰だ?
才あるプロデューサーとして注目してきた杉野希妃だが、初監督作で主演も兼任したのは成功とは思えず。この肉女はもっと怪物的な狂気がなければ成立しないのでは。3年後、5年後と主人公の男の女性遍歴が描かれるが、関係が壊れる過程を省略しているだけで空白期間が台詞で説明される以上には見えてこないので、男の妬み嫉みも分からない。杉野の他の作品にはインディペンデント映画らしい自由を感じたが、本作は女性監督らしいジェンダー映画の括りで観るしかないと感じてしまう。
グランド・ホテル形式で丁寧に描かれる群像劇に好感を持って観たが、全員がえらく前向きな結末に向かって進むので、キレイ事の感が拭えず。「さよなら歌舞伎町」が性を発露する剝き出しの場ゆえに作劇が特徴づけられたように、長野五輪開催地という舞台の特徴が作劇に活かされたとは思えないのが惜しい。東京五輪に浮かれる連中への揶揄も可能な設定なのに。元教師のホテルマンという市原隼人は直情的で腕っぷしの強い教師時代と穏やかな今とを、自身の無骨さと愛嬌を活かして好演。
美術、衣裳などは素晴らしく、世界観も魅力だが、このクラブがどういう組織で何を目的にしているのか不明瞭なのでディテールを愛でるのみ。内藤監督らしく少女とロボットという奇形の愛に傾倒する部分はハツラツとしているが、クラブのメンバーたちが没個性的で、肝心のロボットの人格形成やライチの木など物語の細部の扱いがルーズなのでコメディータッチになる部分も戸惑う。メンバーを女子集団にしてしまうか女子が男装して演じた方が監督のフェティシズムが発揮できたのでは?
井上監督の脚本「あいときぼうのまち」に引っ掛けて言えば、「にほんのよるときり」と言いたくなる独白映画だ。全篇にわたる農家の男性の語りは、内容もさることながら、太く響く〈声〉に聞き惚れる。この声と傍らの母親の絶妙な合いの手が、集団からはかき消される感情を拾い上げる。一方で映画の形としては修学旅行生が戦争体験者から話を聞く平和学習と何が違うのかという気にもなる。聴き手側の若者たちをフィクションで作ったとしても本作の声は揺るがなかったろうなと思う。