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落雷一発で現代から終戦間際にタイムスリップした女子高生が、特攻隊員と恋に落ちるというストーリーはいいとして(よくないか)、主人公がやけに物分かりよく戦中生活に順応するので、そのSF設定必要?と思ってしまう。6月なのに猛暑?とか、町のスケール感が全然分からんとか、投げやりな作りが目立ち、アイドルグループみたいな特攻青年たちの食堂コントもこっぱずかしい。戦中日本人のメンタリティ描写も「ゴジラ-1.0」薄さがマシに思えるほどだが、主演の福原遥はマジメに健闘。
杉咲花のボソボソ声は、いよいよ芸になりつつある……という感慨はさておき、「嫌われ松子の一生」みたいな話かと思ったら中盤からは宮部みゆき風の本格ミステリ展開になだれ込み、ぐっと面白さを増す。ただ、原作舞台では問題なかったのに映像では計算違いが生じたような場面もちらほら。特に序盤の子ども時代パートはその感が強い。また「見せずに想像させる」演出も場合によっては効果的だが、ある重要な登場人物に関しては、その人格や生活を省くべきではなかったと思う。
スタジオポノックがようやく叩き出した最良の成果。しかもアニメ史に残る大いなる挫折……あの高畑勲も宮﨑駿も撤退した『リトル・ニモ』の無念が、まさかここで晴らされるとは。夢、もしくは想像の世界を舞台に、観客の心を摑む冒険活劇は成立可能か?という難題に、西村義明プロデューサーは果敢に立ち向かった。キャラが多すぎとか、説明台詞がくどいとか文句もあるが、それでも立派な快作である。ベテラン百瀬義行の満を持しての監督登板、小西賢一作画監督の大活躍も嬉しい。
“伝説のハガキ職人”の実話と聞けば、狭い話を想像するかもしれない。だが、実は『古見さんは、コミュ症です。』級に普遍的かつ感動的なドラマだった。破滅的に社交性がなく、話し声のボリューム調整もできない(分かる~!)主人公を岡山天音が身を削るように力演。脇に回った菅田将暉、仲野太賀の好演も沁みる。師匠・井筒和幸の遺伝子を感じる滝本監督の演出も静かに熱い。楽な生き方を選べない人、そんな不器用な純真さがこの世にあっていいと願う人、どちらの涙も汲む名作。
時空を超えた愛ですって? 聞けば本作の原作は、泣かせ本としてベストセラーになったらしいが、ホント、泣かせるのって簡単らしいわ。いや、観ているこちらは、あまりにも雑で無責任、かつ薄っぺらで鈍感な設定のラブストーリーに、泣くどころか、途中で何度も逃げ出したくなったのだが。不満分子の女子高生がなぜか戦争末期にタイムスリップ、そこで出会った特攻隊員と互いに惹かれあいましたとさ。特攻隊員の安易な描き方もさることながら、その甘っちょろい展開には言葉もない。
衝撃的な面白さということで言えば、「市子」は、06年度のわが日本映画ベスト1の「嫌われ松子の一生」に勝るとも劣らない。ちなみに松子の姓は川尻で、市子の姓は川辺。どちらもありふれた姓名だが、姓名からして妙に似通っているのも衝撃度を倍増する。基は本作の監督・戸田彬弘が主宰する劇団の舞台劇だそうだ。突然姿を消した市子のそれまでの人生を、時間軸を何度も前後させながら手探りするように描いていくのだが、見えてくるのは、市子の行動だけ。すべてが別格の痛烈な秀作だ。
いつか子どもたちが夢を見なくなると私たちは消えちゃう、とイマジナリたち。想像上の世界は現実には決して勝てないのか。かなり悩ましいストーリーを、温かみのある色調と各キャラクターたちの言動でスリリングに引っ張り、アニメが苦手な大人でも楽しめるに違いない。一種のパラレルワールド仕立てで進行、特に意外性のあるキャラが次々と登場する想像世界は、背景も大きくワクワクする。小さなキャラがウジャウジャ密集する演出は宮﨑アニメをチラッ。声優陣もキャラにぴったり。
タイトルの“カイブツ”とは当然、怪物のこと。是枝作品の「怪物」があり、サイコサスペンスの「怪物の木こり」があり、そして本作と、いまや“怪物”も押すな押すな! それにしても笑いに取り憑かれた男・ツチヤタカユキの変人、奇人ぶりは半端ない。寡聞にして今回初めて彼のことを、そしてハガキ職人なる言葉を知ったのだが、笑いを一切排して描かれるツチヤの笑いへの執念はかなり神がかり的で、笑い教の孤立した教祖もかくや。泣かせるより笑わせる方が難しいというが、なるほど。
女子高生が戦中にタイムスリップして、特攻の母がモデルとおぼしき食堂で働きながら特攻隊員と恋に落ちる。しかし、足を露出した制服でうろついても誰も訝しく思わず、よくスパイ容疑をかけられなかったもの。空襲シーンもご都合主義の恋愛描写に絡み取られ、食料を失った喪失感も描かれず。山田太一の『終りに見た街』のように、現代の若者が戦時教育に染まる恐怖を描くわけでもなく、泣きながら特攻を見送って神格化。言わば「俺は、君のためにこそ死にに行く」のジュブナイル版。
不意に人が姿を消し、身近な者が行方を追うと意外な過去や経歴が明らかになる。各時代に関わった人々の視点から不在の主人公を浮かび上がらせるというのは映画が繰り返し描いてきただけに新味は薄い。ロケセットを生かした撮影は際立つものの時代色はどの年代も薄く、コロナ時代を取り入れて空間的な広がりをもたらすような飛躍が欲しかった。市子を追うのは男ばかりで女性は脇にしかおらず、〈俺たちの市子〉が前面に出てしまう。誰が市子をこんな薄幸な目に遭わせるのか。作者だ。
海外児童文学を主体とするポノックの存在価値を周知させる良作。想像世界を具体化させる話だけに、アニメーションならではの表現が際立つ。舞台となる書店や図書館にはフェティッシュなこだわりが欲しかったが、老犬やピンクのカバなどは忘れがたい魅力。彼岸と此岸を往復する霊界映画としても突出。「千と千尋の神隠し」を思わせる場面もあるが、本家が自己模倣をする時代だけに気にならず。脚本はプロデューサーが兼任のようだが、公式サイトにもプレスにも未記載なのは何故か。
岡山天音に尽きる。目つき、挙動に至るまで、カイブツを演じる者は、その際自分がカイブツにならぬよう気をつけるがいいと言いたくなるほどの圧倒的演技。その分、〈人間関係不得意〉な姿が延々と続き、笑いを生む原動力や独自の視点で見つめる日常も、実直に描かれすぎて重苦しいほど。オードリーのラジオで断片的に聴く限りでは人間関係不得意ゆえの笑いが日常に転がっていた様子だけに、笑いが少ない分、2時間がシンドイと思ってしまう。安易な汗も涙も拒絶した作劇には好感。