パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
全体の構成が行き当たりばったりで、テレビのドキュメンタリー番組の長尺版を見ているような感覚になってしまった。作品の成り立ちとしてはそれでいいのかもしれないし、地方局制作のドキュメンタリーが全国で見られる機会としての「劇場版」ということなのだろうが。また、作品の中心である夏目浩次氏への客観的な視点が乏しく、カメラもナレーションもその肩越しからしか描かれないので、氏が掲げる理想や大義に強いシンパシーを抱いていることが前提になってしまっている。
娘のキャリーケースを和室の居間に運び込んだ父親がキャスターの汚れを拭き取るところだけで、細部の描写にどれだけ神経を研ぎ澄ませているかがわかる。軽トラが画面を横切る日中の何気ないシーンだけで、カメラをどこに置いて何を映せばいいのか会得していることがわかる。本作が初長篇の宮川博至監督は間違いなく「撮れる」監督で、その作風もふまえるなら、国内メジャー作品での抜擢も時間の問題なのではないか。設定やストーリーの展開にはもう少し新味が欲しかった。
サブタイトルに「Angry Son」とあるが、主人公の男の子がアングリーどころか健気すぎて、序盤から切なくなってしまった。その気持ちを最後まで引きずっていたせいか、物語の大団円にもどこかモヤモヤが。パート先のボウリング場での母親を巡る一連のシーンを筆頭に、注意深く見ればそんな「モヤモヤ」も取りこぼしていないのだが、演技のバラツキが作品全体の足を引っ張っている。眼差し一つですべてを表現できる、堀家一希の演技が突出しすぎているのがその一因とも言えるのだが。
「愛の渦」池松壮亮、「何者」佐藤健、「娼年」松坂桃李と、これまでも三浦大輔監督は若い男性俳優のポテンシャルを引き出す際に見事な手腕を見せてきたが、本作でどうしようもないクズ男を演じている藤ヶ谷太輔は、あまり出演作に恵まれてこなかったことに恨み言を言いたくなってしまうほど魅力的。シネマスコープで映し出される苫小牧の風景、キャプラ「素晴らしき哉、人生!」への気の利いたレファレンスなど、舞台の映画化という意味においても隅々まで「映画」の必然に満ちている。
以前、友人から久遠チョコレートを手土産にもらったことがある。いまいち、よそ行き感のあるスイーツ。そのとき久遠チョコの背景を聞いてはいたが、このドキュメンタリーで改めてチョコの底力を感じた。久遠チョコを立ち上げた夏目さんの思いと覚悟。ここで働くさまざまな人たち。障害があっても可能な仕事、いやその人に向いた仕事を用意すること。ときにはわざわざ設備の変更まで。ただビジネスとのバランスも重要なはずなのに、そのあたりの取材情報がないのがちと気になる。
2018年の西日本豪雨の被災地を舞台に、ひとりの男の喪失感や孤独を淡々と描き、演じる東出昌大の笑いを忘れたような硬い表情とどこか重い足どりも悪くない。瀬戸内海の小さな島。彼の周辺や地域の人々のエピソードもリアリティがある。けれども疎遠だったという父親に会いにくる、挫折感を抱えた三浦透子の話はいかにも取って付けたよう。人にはそれぞれ悩みや事情があるのは分かるけれども、どうもわざとらしい。気どったというか、気張ったタイトルも何やら頭でっかち。
途方に暮れる僕もいれば、自分の立ち位置に悩む僕もいて、僕はそれぞれに大変なのだった。おっと、タイトル絡みとはいえ、ふざけてごめんなさい。同級男子を愛しているフィリピンのハーフ男子が、自分に正直に生きようとする話で、舞台は地方だが、少年たちを追い詰めるようなエピソードがほとんどないのが気持ちいい。主人公は、フィリピンパブで働くいつも口うるさい母親にウンザリしているのだが、どの人物もあえて肯定的に描いているのにも感心する。ラストがまた上等だ。
「愛の渦」然り、「娼年」然り、三浦大輔監督の作品は、ドラマ性より人間観察的で、それもかなり極端で生臭い。ロードムービー仕立ての本作は、三浦監督が手掛けた舞台劇の映画化だそうで、人間観察と人間関係というドラマが互いに追っかけっこしているのがミソか。とはいえ、吹けば飛ぶような自己チューの甘ちゃん男を、人間関係という流れで北海道まで泳がせてしまうとは。主人公のキャラに共感する気はないが、藤ヶ谷太輔の途方に暮れ顔にムリがなく、ついズルズルと引っ張られた。
課されてしまったバリアでその人の人生が狭められることを良しとしない久遠チョコレート夏目社長のまっとうさと道義は間違いなくこのチョコを美味しくしている。私は本作を観て他のものよりこのチョコを食べたいと思う。夏目氏は自らの方向性が通用すると証明するためチョコギフト市場の1%、40億を売り上げたいというリアリストでもある。これは宮本信子(ナレーション)、本多俊之(音楽)が思い出させる伊丹十三映画の主人公の行動、金銭や市場原理に正義を刺す闘いに似る。
現在の日本映画界で拗ねた男をやらせるなら完全に東出昌大氏、みたいになってるがまだ飽きない、嫌いになれない。本作でも「天上の花」同様、生肉食材を持ち込む男。服部文祥のもとで狩猟修行するような俗世からの離れかたと再生の計りかたは憧れでもあるし、いつか自分が有害な男として転ぶときの参考にする。本作でついに風船を飛ばそうとして少女の手と並ぶ彼の手は花を投げるフランケンシュタインの巨大さ魁偉さだった。良き孤独。ヒロイン三浦透子と馴れぬ設定も良い。
つい最近もルビー・モレノ氏が久しぶりにスクリーンに登場し、力強い存在感を放つのを高橋伴明監督「夜明けまでバス停で」にて目撃したが、本作にも正規の労働に掬われることのない在日フィリピンママの生活苦がある。経済格差の嵩にかかった日本の男ども、ダメだった。本作はその二世の話であるが、彼のアイデンティティはセクシャルな面でも困難を抱える。だが本作はユートピアを示す。白タキシードが二人並ぶ光景は実に映画的で面白い。映画は同性婚を祝福するメディアだ。
不足ないキャスティングと熱演、脚本演出の工夫により飽きずに観ながら、いちゃもんのようにもっと面白いかどうかをも振り切った独自の深さを求めてしまった。それは失踪、蒸発という行動について旧くは67年の今村昌平「人間蒸発」(蒸発者を追うモキュメンタリー)と若松孝二「性の放浪」(「人間蒸発」への返歌)があり、ごく最近では「ある男」というなりすましを発端として人のアイデンティティを問う秀作もあったため、私の本作を享受するための余地は狭かった。