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「日本映画界は本当にボクシングが好きだな」という「またか」感以外、文句のつけようがない。平坦な日常とリング上の非日常の対比ではなく、平坦であることのかけがえのなさの担保としてのリング。肉体の「痛み」はただ肉体の「痛み」でしかなく、そこでの勝敗もあらかじめ物語のカタルシスとは無縁の場所にある。16㎜フィルムで記録されたコロナ禍の東京イーストサイドの静かな風景が、この映画の登場人物たちと同様、我々もなんとか同じ時代を生き抜いてきたのだと告げる。
中心人物の魚屋店主一家が住む築浅の瀟洒な一軒家や、ポストクレジットで挿入される移転先の小綺麗な新店舗が象徴的だが、再開発における旧住民と(本作では取り上げられないが)新住民の構図は保守主義&伝統主義と新自由主義の違いでしかなく、そこにあるのは「対立」ではなく「時代の流れ」でしかない。見当外れなイデオロギー対立に落とし込まず、その「時代の流れ」をどう捉えるか観客に委ねているところに好感。この店主、人としては最も苦手なタイプではあるがそれは別の話。
撮影や編集が洗練されているのと、片岡礼子、田中泯、萩原聖人らベテランキャストの重厚感のおかげで作品自体に確かな吸引力は生まれているのだが、結局のところ何を言いたかった話なのだろう? 宗教的な仄めかしや政治的な仄めかしがそこかしこにあるのだが、はぐらかしとしてしか機能していないせいでどうにも居心地が悪い。それらをただのイメージとして独りよがりで弄んでいるのだとしたら幼稚だし、そうじゃないとしたらはぐらかさなくてはいけない理由を邪推してしまう。
三野龍一監督、前作「鬼が笑う」の短評では題材の現代性とキャラクターの古典性の齟齬について触れたが、まさかキャラクターを現代に寄せてくるのではなく題材を古典に寄せてくるとは。メジャー配給のスターキャスト作品ではなくても、こういう企画が成り立つことにも驚き。しかも、セットや衣裳にも安っぽいところがない。とはいえ、茶屋娘をグループアイドル的に描いたくだりを筆頭に、どのような観客層(少なくとも自分は入ってない)に向けた作品なのかは最後まで謎だった。
いつも硬い表情で練習するケイコが、さりげなくイヤリングと真っ赤なマニキュアをしていることに、三宅監督らしい自由さを感じ、さらにこの作品を抱きしめたくなった。ケイコはホテルの清掃係をしながら、ジムで、夜の土手で自主トレーニングに励むのだが、けれどもいまケイコが闘っている相手は自分自身で、いつまで続ける、いつまで続けられる? 情感のある16㎜フィルムが彼女の迷いを吸い込んでいくようなのも見事で、演じる岸井ゆきの、最高だ。ジムの会長・三浦友和も渋い!
閉鎖が決まった魚市場の、その最後の日までを追った作品だが、不思議と感傷度は薄い。市場に限らず、地元の人たちの日常に溶け込んでいた場所や風景が失われてしまうと、過剰に感傷的になるものだが、この市場の店主たちは、意外とサバサバ店仕舞いの準備をする。本来ならば、閉鎖が決まるまでのいきさつをこそ撮るべきでは。そういう意味ではかなり受け身のドキュメンタリーで、一番感傷的なのは監督かも。ただ登場する店主たちはそれぞれに魅力的で、やっぱり主役は人間なのだ。
夢野久作的な歪んだ妄想と、つげ義春世界を思わすリアルな不条理が追いつ追われつする奇妙な作品だが、その割に後味は悪くない。路上でガラクタまがいの品を売っている骨董屋志望の若者が、記憶という落とし穴的な迷路で右往左往。彼が出会う看護師娘のエピソードや、彼を山奥の骨董競り市に連れ出す叔父さんの虚々実々。この競り市シーンがまた小気味いい。痛いエピソードをシレッとただの迷走、妄想にしてしまう語り口もスリリング。こちらを惑わすキッチュな映画は大歓迎だ。
差別や偏見の現場を描いた「鬼が笑う」の監督が、時代劇を撮るということでかなり期待したのだが、ゴメン、これはイタダケない。エンタメに特化した時代劇という狙いはいいとしても、脚本も演出もあまりにも雑で、まったく本気で観ていられない。冒頭、山あいの畑で親子が収穫した大根を荷車に積んでいるのだが、この大根がスーパーで売っているのと同じ葉が切られた真っ白な大根で、えっ、泥付きじゃないんだ! 大津奉行の変態ぶりもえげつない限りで、何なのこの映画!
このフィルムの一発一発が重く硬いパンチのような映像と音響によって名付けえぬ感動が引き起こされるのをたしかに感じた。冒頭ジムの更衣室で着替える岸井ゆきのの下着姿の背中が獣めいた筋肉の量感をたたえている時点で引き込まれる。そして全篇に満ちる音。主人公が立て、彼女本人が聴いていない音。この映画の観客はその断絶に耳を澄まし、同時に、人も事物も世界もそれぞれ孤絶していると気づく。勝利すらないだろう。本作はだからこそ闘うことが生の要件なのだと説く。
2013年「アナタの白子に戻り鰹」(監督はこの映画の助監督)を観て唸った。魚食文化の宣伝隊としてロックバンド「漁港」が存在し、そのフロントマン森田釣竿が、森の石松のような、寅さんのような、「トラック野郎」星桃次郎のような愛すべきお騒がせ男を演じたその中篇は日本人の心の琴線をグイグイ引いて一本釣り、おいしい魚も食べたくさせた。その彼の実像と閉場に向かう魚市場の記録だ。ナレーションや字幕がつくくらいでもよかった気がするがしみじみ見入った。魚食、大事。
ひとつ難癖つければもう少し滑稽さがある方が主人公の地獄巡りが深まったのではと。格好のつかぬ、西村賢太、町田康の域に。骨董品の競りの場は近年稀な味わいの、新たな映画的シーンの発見だった。また役者がみな素晴らしい。萩原聖人、片岡礼子の凄み。さらにそれを追うインディピラニア軍団とも言うべきこれからの役者陣がスクリーンを埋め、主人公を小突きまわす。もっと彼、彼女らを観たい。私も捨てれば楽なこだわりを捨てきれぬ偏屈貧乏人。ゆえに本作の味方だ。
いわゆる古典名作時代劇でも結局は現代の眼で見てわかるように面白みがあるようにデフォルメはしているのだから、本作のような大嘘、遊びはどんどんやればよいと思う。アイドル人気投票をヲタ芸で応援するんかい! とは思わない。いや思うけどかまわない。物語や主題や史観がちゃんとあれば。農民町人の武士階級への怒りや抗いはよかったがそれがまたさらに上層の正しい侍によって決着するのはひっかかる。裏切り者を再び信じることが最大の勝機・商機という展開は良い。