パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
「郊外で生活するどこにでもいるような夫婦」を何の違和感もなく自然に演じてみせる香取慎吾と岸井ゆきの表現力は評価に値するが、だからと言って「郊外で生活するどこにでもいるような夫婦」をわざわざスクリーンで見たいと思うかどうかは別の話だ。5年ほど前にネットミームとなった「だんなデス・ノート」に着想を得たオリジナルストーリーは、その題材選びの是非はひとまず置いておくとしても、台詞回しや言葉遊びにおいても全篇を通してうっすらとスベり続けている。
映画・演劇関係者の居酒屋愚痴トークみたいなものがこの世で最も苦手な自分にとっては設定自体がしんどい。最近だと「ある惑星の散文」もそうだったが、作り手と演者と観客が半径5メートルのサークルで自足していれば、そこで燻るのも当然。奇を衒ったアングルや切り返しというだけで、意志が感じられないショットの連続にも辟易。図らずも登場人物の実家部屋に脈略なく貼られた「過去の名画」のポスターが象徴しているように、映画というアートフォームの形骸化ここに極まれり。
中盤を過ぎて、ようやく満島ひかりや國村隼が画面に登場してから吸引力のある物語として駆動し始めるが、そこに到るまでの主人公の人とナリを説明していくパートが単調な上に長い。原作としてクレジットされているウベルト・パゾリーニの「おみおくりの作法」を観たときも思ったが、そもそもこのキャラクターにまったく魅力を感じないのは、自分が極端なほど共感性に欠けているからだろうか(そんな気もしてきた)。嫌なヤツとして描かれる上司の言動は一つも間違ってないと思う。
原作の元になった小説『四畳半神話大系』と戯曲『サマータイムマシン・ブルース』に加えて、それぞれのアニメ化作品や実写化作品などハイコンテクストな背景を持つ本作だが、一本の映画として向き合うなら、そのあまりに特異な文体に面食らわずにはいられない。説明台詞の洪水は昨今のアニメ作品において珍しくはないが、本作は行間すべてを状況描写と心の葛藤と妄想のナレーションで埋め尽くす。丁寧にデザインされた作品ではあるが、観客としての想像力をここまで制限されたくない。
妻がSNSで自分の夫を槍玉にあげて悪口三昧とは。いくら理由があったとしても、まるで、いじめの意識もなく乱暴な言葉を投稿する小・中学生並みのレベルで、コメディ仕立てのつもりでも、笑うどころではない。「箱入り息子の恋」ほか、市井監督のオリジナル作品はウェルメイドな娯楽映画として楽しんできたが、今回はただのワル乗り、ワルふざけ。夫の職場はホームセンターで、このあたりの演出は実感があるが、そもそもSNSネタ自体が安易で、映画でスマホ画面など見たくなし。
タイトルに皮肉を込めたつもりなのだろうが、このオリジナル作品の主人公たちも、自意識過剰で自分に甘い。役者をしているという3人のエピソード。但し役者としてのキャリアなどは一切描かれず、ワークショップで芝居の稽古をしている場面が何度もあるだけ。そのたびに打ち上げの飲み会も。さしずめ片山監督の周辺にいる役者さんたちがヒントになっているのだろうが、実績がなくても自称で格好がつくのは詩人と役者志望、演じている俳優陣はそれなりに達者だが、話は堂々巡り。
黒澤明「生きる」の令和版を思わす、軽妙でくすぐりが効いたヒューマンドラマの佳作である。市役所の福祉課おみおくり係・牧本の、クセのあるキャラクターを軸にして展開する、孤独死した男の縁故、縁者探し。冒頭で牧本の律義でこだわりの強い性格をしっかり見せているのが効果的で、阿部サダヲ、さすがに巧い。孤独死した男のいくつもの情報が牧本のキャラとクロスするのも絶妙で、漁村ほかのロケ場所も活き活き。寂しくも温かなラストに流れる有名な楽曲も実に好ましい。
昭和的なバンカラ人間がとぐろを巻いている京都の下宿屋の大騒動。猛暑の苛立ちとお節介な役立たずが右往左往しての進行は、タイムスリップとか、宇宙消滅とかややこしいが、テンポと勢い、そして「私」の無機質な早口台詞に飲みこまれ、ただアレヨアレヨ。個人的には同じ森見登美彦原作を湯浅政明監督がアニメ化した「夜は短し歩けよ乙女」の方が好きだが、これはこれで十分面白く、上田誠戯曲との合体、成功度は高い。もちろんキャラクターデザインも、音楽も言うことなし。
単に気の利いたネット文化っぽい憂さ晴らしかと思いきや、そこは越えた。ときに幼く、ときに老成して見える岸井ゆきのがよかったし、それを受ける香取慎吾もなかなか。主役の夫婦の姿は物語の進行とともにどんどんかっこわるく、醜く、陰惨になっていく。マサッチオが描く「楽園追放」の泣き顔の男女。もう破綻と別離が必然のように見える。それに抗する祈りとしての生活小物の列挙、風に舞うビニール袋を追うこと。困難な主題×異様な盛り上がり場面=映画、を志向した作品。
登場人物の日常に苛立つ。あの鈍さ、退屈さ。世に打って出たい役者があれではいけない。数年間、映画人を養成する学校のスタッフだったことがあるが、そこでの飲みの席などで繰り広げられる対話は常に熱かった。そのジャンルへの思いでみんな狂っていた。そこで燃えていた者がいま活躍しクレジットに名を見せている。自らが燃えねばそこに光はない。耳かきみたいなセックスで終わるな。映写室に入り浸ることをやめるな。人物らに内心呼びかける。本作にまんまとハメられたか。
三十年ほど前、私が学生になって独り暮らしを始めてすぐに隣室住人が孤独死、初夏にしばらく遅れてそれは気づかれた。挨拶を交わしたこともない人物だが彼に教えられた死臭は忘れぬ。死後の世界が無だとしても、ひとは看取られて世を去るほうが環境のため、人類全体のためだ。それを知るまきもと氏は滑稽にみせてハードな男。鼻下にメンタムを塗る人物はFBI捜査官クラリス・スターリング以来。本作は無縁社会日本に問う寓話、かの醜悪な国葬に対置される無数の無念を謳う佳作。
京大の習俗ほどではないが私も90年代に大阪の辺境大学の映画研究会に属していたので奇人にまみれて奇行が常態化し、最初に住んだ酷暑のアパートに耐えかねて十回生の先輩の住まいを譲り受けて住み替えたがそれを大家に無断でやって仰天した大家に厳重注意される(当たり前だ)などしていたので本作のムードはわかる。ただ、今の学生はこういう青春奇行をしてるのか。してほしい。05年の実写映画「サマータイムマシン・ブルース」よりも格段に面白くなった変奏、アニメ化だった。