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大森監督は「『タランティーノを意識しない』ことを意識した」と語っているが、冒頭から「レザボア・ドッグス」のような即席集団による強盗を「ジャッキー・ブラウン」同様にボビー・ウーマックの曲にのせて描けば、観客にとって「意識しない」のは無理な話。作家性がまったく異なる(優劣ではない。大森監督の方が優れている点はある)のにそこに踏み込んだ本作は、やはり最後まで焦点が定まらない。半グレ描写も、たとえば最近の「JOINT」のような作品の精緻さには程遠い。
ポストJホラーの可能性を、芸能行政などに目もくれず、衒学趣味的な政治性を散りばめながらインディペンデントに探求している近年の高橋洋による、傑作「霊的ボリシェヴィキ」に続く新作。まずその心意気だけでも喝采を送りたくなるのだが、今回も相当エクストリームな各キャラクターの設定、及び展開で、ラストシーンまで心地よく翻弄された。江戸川乱歩を思わせる洋館を舞台にした室内劇ということもあって映像的興奮には欠けるが、こんなストレンジな映画、世界のどこにもない。
企画も作品の完成度も文句なしにシャープだった「わたし達はおとな」に続く、メ〜テレと制作会社ダブのシリーズ第二弾。過去の島本理生原作映画と比べてもいささか文部科学省推奨作品的な題材で、城定秀夫の脚本もプロの仕事に徹していて、置きにいった作品かと思いきや、ラスト5分で印象が激変。若い女性にとっての恋愛を精神の解放ではなくある種の抑圧として描き、シスターフッド的連帯に着地、と言うのは簡単だが、安川有果監督は見事にそれを映像で表現している。
シンプルなアングルからでも共感に至ることができる(もちろんそれも人によるわけだけど)沖縄の米軍基地問題や原子力施設反対の住民運動と違って、本作の舞台となっている日本原駐屯地の問題は、戦後の特異な左翼史と密接に結びついているだけに、まずはその史実から解きほぐす必要がある。しかし、1時間50分をかけてもこの作品は牛と人を通して情緒に訴えるばかりで、知りたい情報に関しては一方的な立場からしか提供されない。正直、何を見せられてるのかわからなかった。
警察は何してる! 殺しっぱなしの死体はどうなった!! ナンテ野暮なことは一切考えずに、ただ追い詰められたロクでなしたちの更なる悪あがきをじっくり見届けていれば、アララ誰もいなくなり。“序・破・急”を解体してスタートする高田亮のオリジナル脚本は、その場限りの強盗団の最年長(三浦友和)に、日本国家への愛想尽かしをチラッと言わせているが、見所は血祭りの応報によるロクでなしたちの共倒れで、クライムアクションとして最後まで気が抜けない。ラストの一発の銃声は誰が。
一瞬、女性の敵は女性、娘の仇は母親、という、女性たちのリアルな地獄堕ちホラーかと思ったが、どうも違うようで、得体の知れない霊的なものまで登場、いまいち消化しきれないもどかしさが残る。とはいえ深い森に囲まれた山荘を舞台に、鏡や写真を効果的に使ったゴシックホラーふうな進行は、なにごとか、と思わせる不穏なイメージがあり、主役の女優2人の攻撃的な演技もかなり不気味。心理的な密室劇のようでもあり、劇中劇か妄想のようでもあり。衣裳と音楽も凝っている。
左側の頬に痣があることでひっそり生きてきた主人公の自意識が、人前に出て恋をしたことで、その自意識から解放されるという話で、宮沢賢治『よだかの星』が、さりげなくべースになっている。結局は独りよがりというか、独り相撲に終わる恋の相手が、作家性にこだわる映画監督というのがくすぐったいが、話のメインはあくまでも主人公の顔に対する自意識。そう言えば劇中で撮影中の映画のタイトルは「わたしの顔」。メイクという落としどころで顔からも自由になるラストがいい。
反基地運動に軸足を置いてはいるが、ヒデさんは、いわゆる活動家ではない。普段は陸上自衛隊と地元が共同利用している「日本原」で、牛飼いと農業を営んでいる。但し現在この土地を利用しているのはヒデさん一家だけ。それにしてもヒデさんの日常を記録したこの作品から見えてくる、戦前から戦後に及ぶ歴史的 情報量は、かなり貴重で、ヒデさん自身にもドラマがある。ナレーションをヒデさんの息子さんが担当しているのも説得力があり、一見地味だが、見応えのある記録映画。
面白いところも少なくないものの、それはありえん! と思わせるものが多すぎて、あまり買えない。登場人物の業とか無意識的な破滅願望と解釈することも難しいくらいのザル感、雑すぎて失敗するにきまってるやんけ感がすごい。悪人であるとかヤクザであることの表現をべらんめえ調というか悪ぶった口調の台詞に頼ってはいけないと思わせられた。大森南朋演じる情のある猟犬(ヤクザに飼われた刑事)や西島秀俊が演じた元ヤクザの、クルエルさにグッバイしたい風情は良かったが。
本作はオカルトミステリー+思想・歴史観ゴアホラーとでもいうものだが、それ以上にさまざまなものも描かれておりもはや新ジャンルの映画。「リング」の謎解き役を父親から母親に変更したのが高橋洋氏の脚色上の大発明だがそれを為しえた氏の女性存在への独特の感性が発展し極まったのが本作かと。ほぼ三人芝居の劇でダブル主演の中原翔子さん河野知美さんの迫力が凄いがそこについていく横井翔二郎氏が「悪魔の祭壇・血塗られた処女」のロバート・ブリストルのような佇まいで素敵。
ちょっといい話にとどまらぬ硬質な繊細さがある。あと速度も。ヨーロッパの恋愛映画には活発な議論や対決の姿勢がある。当事者同士がバンバン喋り、想いをぶつける。日本映画、アジアの映画では恋愛映画=個々の物思い、みたいになってないか。それは民族性や文化だろうが、映画は描写に閉じこもるよりも認識の表現となるほうが強い力を持つ。本作と、松井玲奈演じるヒロインは珍しくその発信力がある。彼女が顔面血まみれになる場面の活劇性や、サンバを踊る場面の爽快さも良い。
本作の主な被写体となる内藤秀之さんとそのご家族に、戦後から現在までの日本の課題が凝縮されているのが興味深い。60年代の反権力闘争を学生時代のみの活動ではなくその後の人生につなげていった秀之氏のピュアさ、その衣鉢を継ぐ長男の大一氏はもちろん、抗議活動に積極的でない次男の陽氏の対立を厭う感性も近年の左派劣勢の原基的なものを示すかのようだ。しかし本作監督はその陽氏をナレーション担当として起用することに成功している。その説得、融和にこそ希望がある。