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ブリランテ・メンドーサ監督は、4年前に東京国際映画祭の審査委員長を務めた際、映画祭での賞の対象はアート系作品に限るべきという趣旨の発言をしていたが、それで言うなら本作こそ賞の対象にはなり得ない、題材と物語に感傷的に寄り添った類型的な実話ベースの娯楽映画そのものだ。フィリピンの監督が日本資本で映画を撮る際に題材としてボクシングを取り上げるのには必然性があり、ドキュメンタリータッチのアプローチも手慣れたものだが、そこに新鮮さはまったく見当たらない。
スクラップ工場に務める労働者、忍び寄る新興宗教と、たまたま公開中の「夜を走る」と設定やモチーフがかぶっているが、主人公から聖性(どころか人間性も)をとことん剥ぎ取っていた「夜を走る」と比べると、本作の主人公のキャラクターは古典的すぎていささか退屈だ。展開も予想の範囲に収まるものの、カタストロフィに至るまでの各登場人物の心の動きや、過酷な生活の中でも小さな幸福が訪れる瞬間の描写など、演出は丁寧で緩急も巧み。社長役岡田義徳の好演が強く印象に残った。
時代劇の文化を支えてきた基盤が失われつつあることが危惧されているうちに、実写の商業日本映画のマーケットそのものの基盤が失われつつある昨今。現代の日本映画界でおよそ考え得る最良のキャスト陣を揃え、現代的解釈のようなノイズを周到に排した端正な佇まいの本作からは、このジャンルの良き観客ではない自分のような人間にもその尊さが素直に伝わってくる。スペクタクル的な見どころという点では物足りなさも残るが、それはないものねだりということなのだろう。
同時代のテレビ局所属演出家では唯一の例外として、映画的演出を駆使し、フィルム撮影を敢行するなど手法にもこだわりをみせてきた西谷弘だが、ミステリーの導入を描いた本作のオープニングシーンの覇気のなさはどうしたことだろう。レギュラーキャストが登場してからも一向に画面が華やぐことなく、敗戦処理をするかのごとく最後まで淡々と物語を消化していく。脚本に問題ありと思いきや、「東山狭」という見慣れぬクレジット、どう考えても「西谷弘」の別名ではないか。
「ローサは密告された」ほか、常に社会の不条理に翻弄される人々に寄り添ってきた 過去のメンドーサ作品に比べると、この作品、いささか肩透かし。プロボクサーを目指してフィリピンのジムに身を寄せた沖縄の義足のボクサー。トレーナーやジムの仲間たちのオープンな雰囲気や、丁寧な練習風景は説得力があるが、主人公がアマチュア戦で勝ち進んでの真相がほろ苦く、前のめりでプロを夢見た主人公はもう前に進めない。告発ものとは異なる人情譚仕立てだが、やるせなさは否めない。
家庭内暴力に親殺し、いじめに差別に貧困、搾取、もう嫌になるほど見たり聞いたりしているこれらの話やエピソードを、まるで自分たちが初めて取り上げるかのように、というか、さも身近な現実であるかのように描きだそうとする三野兄弟の、その若さと野心に煙たくなった。おまけに絵に描いたように胡散臭いカルト宗教まで登場、しかも一切救いのない展開。悲惨な話を描くにはそれなりの覚悟が必要だと思うが、ここではあくまでも映画ネタ、終盤のスタンドプレーでそれがありあり。
筆を使って楷書、つまり、崩したり乱れたりがまったくない丁寧な楷書で書かれたような、正攻法の時代劇である。戦闘場面でもカメラをドシッと構え、リアリズム的な粗っぽい演出はしない。サムライとしての信念を通しつつ、何としても戦いを避けようとする河井継之助を際立たせるための演出として、小泉監督、さすがである。演じる役所広司の常にまっすぐ前を見ている演技も説得力がある。ブレずに生きた日本人のお手本として興味深いが、結局、時代の波に飲み込まれるのが、厳しい。
浮世離れした人物たちと、思わせ振りな事件もさることながら、説明台詞と説明映像、後だしじゃんけんの大盤振る舞いは、観客を馬鹿にしているとしか思えないほど。ドラマシリーズは観たことがないが、いつもこうなの? 俳優陣のらしい演技はプロなのだから当然としても、何だかお疲れさまと言いたくなったり。謎解きを楽しむ娯楽映画は大歓迎ではあるが、この作品は事件も人物たちもあまりにも遠すぎて、最後までシラー。携帯が使われているのも無理やり感が見え見えで、心底参った。
尚玄が全瞬間かっこいい。特に、ボクサーとして闘う意志がこんな形でまた邪魔されるのかという、味方による八百長に傷つく姿の嘆きと高潔。ジョン・ヒューストンのボクシング映画「ゴングなき戦い」で主人公が思いがけず快勝する相手は実は病人という設定で、そのことは映画の観客のほか登場人物の誰もわからず、ゆえに偽りの勝利の後に主人公は没落してゆくが、本作にはそういう不純や甘えを潰してゆく戦いがある。メンドーサ監督の現代映画的演出と撮影も物語と一致している。
もっと主人公は容易に行動を起こせばいいし終幕でも背負いすぎとは思うが、先頃公開された「夜を走る」にも通じる日本の労働現場における人心の荒廃の的確な描写はよかった。映像と演出が澄んでいる。最近秋葉原殺傷事件犯人の同僚だったという方の発信を知ったが、そこには犯人個人の問題プラス、みんなおかしくなるような場がある、ということが示されていた。お前死んでいいよと発する者あらば、そいつと、黙認する者も死ぬのが道理。それはあまり皆が自覚せぬ日本の実態だ。
どのタイミングで封切られても天皇制保持と防衛費増大を後押しするような主題や語り口ではあるが、いまだとさらにロシアのウクライナ侵攻までオーバーラップしてきてきな臭い。そりゃあサムライはぱっと見カッコイイだろうが当時サムライであるか否かは生まれで決まっていたというだけのものであり、もはやあまり憧れるとか自己同一化するのは気持ち悪い。キャリアある役者陣のいい存在感と、文化らしきものが写っているなというところばかり見ていた。松たか子の踊りぶりとか。
スケジュール事情あって本作のみ特に編集部から本欄対象作である旨の連絡あったが脊髄反射で返信したメールに私はシャーロッキアンですから歓迎です的なこと書いた。実際それは本心本気で結果本作はいまいち。昨今のホームズ変奏映画・ドラマではワトソン役(ジュード・ロウやアンドレイ・パニンやルーシー・リュー)の存在感と能力がブーストされて楽しい。それがなくともワトソンがホームズ代理となる「バスカヴィル」をやるなら岩ちゃんをどう見せるかだが、中途半端だった。