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若い頃に売れてチヤホヤされたクリエイター系職業人の「その後」の話というのは、日本映画では珍しい題材かも。でも、それこそ「ゴーン・ガール」くらいの超絶プロットでも用意されていない限り、あまりにもありふれていて面白くなりようがないのではないか。商業映画として一定の技術的水準を超えている作品(情緒過多な劇伴のたれ流しには閉口したが)には最低点をつけないようにしているが、製作事業体に名を連ねている各自治体は別として、本作が想定している観客層がわからなかった。
隔絶されたコミュニティでの非日常の段階的な描き方からもアリ・アスター「ミッドサマー」をレファレンスとしているのは明らかだが、着目すべきは地理移動の前段階における、主人公まわりの日常描写のリアルさ。そこにこそ、この新しい作家がJホラーのトーン&マナーの呪縛にとらわれず、アートハウス系作品とホラー作品との融合に成功した同時代の海外の作家たちと共振している痕跡がうかがえる。課題は脚本の精度か。登場人物たちの行動原理が一部うまく飲み込めない。
市井の人々の地に足のついた日常を描いた作品という点では「今はちょっと、ついてないだけ」とも共通しているが、こちらは小林聡美がこれまで演じてきたスローライフ的キャラクター、及びそれを支持してきた観客の「その後」という企画意図が明確。平山秀幸の演出、松重豊、江口のりこら共演陣もさすがの安定感。もっとも、物語のナレーターも務めている小学生の息子のサブストーリーはただでさえスローな物語を停滞させるばかり。特に子役同士のキスシーンはモラル的にも不要だ。
同性間のDVは物語の起動装置として簡単に処理される一方、男性から女性への暴力には死のペナルティが課せられて当然とするのは近年の映画で頻繁に見られる傾向で、それが作劇上のアファーマティブアクションであることは理解するとしても、やはり時代の病なのではないか。また、役者の演技スキルの見過ごせないレベルのバラつきという、修了制作作品にありがちな問題も抱えている。それでもなお、すべてのショットに意志と意図がある、このような新しい作家との出会いは刺激的だ。
最近〈ちょっと〉気になったのはタイトルからして世間や人生から一歩引いたような作品が目立つこと。先に公開された「ちょっと思い出しただけ」、そして本作、6月公開の「どうしようもない僕のちっぽけな世界は、」など。ちょっととか、ちっぽけとか、卑下自慢とは言わないまでも、はなから日常に流されているようなタイトルは、これも時代の気分なのだろうか。ともあれ、ままならない現実をやり過ごしながら、少しずつ自分の殻を破っていく人々を描いたこの作品、ちょっと、いい。
さしずめ「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の団地版? なるほどカメラを手に3人が潜り込む廃墟同然の薄暗い団地は、人工的な森と言えなくもないし、住人たちを操る魔女もどきも登場する。彼らが輪になって奇妙な踊りをするくだりは、怪作「死霊の盆踊り」をチラッ。けれどもその住人たちを、生きているのか霊なのか、曖昧にしたまま進行する演出は結構スリリングで、彼らがみな、さりげなく白い衣裳を身に付けているのも暗示的。肉体は死んでも魂は死なず。そしてラストの赤い服。
この作品をハグしたい。いや、この作品にハグされたい。海に面したロケ地の空気感。嘘のないキャラクター。気取らない会話。いくつもの小さなエピソードと小気味いいオチ。ここは人の噂をおかずにしてご飯を2膳もお代わりする土地、という台詞があるが、どうしてどうして、どの人物も透明でサバサバしていて、喪失感や痛みを抱えていても笑う余裕がある。宇宙から隕石を降らせて始まる安倍照雄のオリジナル脚本を、魅力度満点の作品に仕上げた平山監督に最敬礼。俳優陣がまた最高。
日本語が不自由な母親から虐待同然の扱いを受け、学校でも理不尽にいじめられている少女・玲は、台湾生まれで日本で育ったという鈴木冴監督の実体験? いざとなれば反撃も辞さない玲。そんな玲が家出し、OL葵と出会ったことから退っ引きならない状況になるのだが、といって映画がサスペンスに向かうわけでもなく、脚本も演出も乱暴なほど座り加減が悪い。埼玉県の観光名所にもなっているという台湾道教の寺院・聖天宮が何度も登場、実存主義的展開から神頼みになるのは面白いが。
タイトルほど軽くなく、人物らを見てると、いや、ついてないとか、ちょっと、という話ではないよと思う。認識には同意するが、丁寧な生き方に行き着く前にひと花咲かせてからの挫折がある設定はそのひと花もおぼつかない世代には乗りにくいかも。ところで、前から気になるムーヴを見せている俳優高橋和也氏が本作でも熱い。だいたいポール・ムニ的変身を含む役づくりでスクリーンの一隅を占める高橋氏は虚構性の強い格好でディープな芝居をするが、あれで映画に劇がみなぎる。
筋が良い。画が良い。役者が良い。それらが有機的に結び合う。筋の良さとはしっかりストーリーと設定が組まれていること、意外にジャンルとして“村もの”であること。画面は、瀬田なつき、濱口竜介、菊地健雄作品などの撮影監督佐々木靖之氏が手を尽くして、キマった構図をつくりそのヴァリエーションが豊か。萩原みのり氏もいいし、筒井真理子氏に至ってはもうクリストファー・リーにしか見えない。この積み重ねで怖さ不吉さを目指す。それはもはや格好良さですらある。
オールド世代にはまず「地獄の警備員」だった松重豊氏が孤独にグルメし始めたときには驚いたが、いいな、と思い、本作ではちょっと痩せのサイクルに入っていることにまたショックを受けたが、やはり観ていくうちに、いい枯れかたと思う。自分が若いうちは年配の男女にはもう恋などないし、それは妙に老けただけの美しくない色恋があるように思えたりするものだが、個々人の主観や恋ごころは傍目より常に若い。小林聡美氏の不滅の清純さと相まって、美しいカップルが顕された。
暗さ、というものがちゃんと写っている。少女がさまよう夜の戸外。男が女を襲い、少女に殺される室内。この感じを昔はよく映画の中で観ていたのに、最近は見かけなくなっていたと思った。夜の屋外を撮ることが何かこう、若さに満ちた冒険、怯えを感じさせられる世界への挑戦なのだということがあった。そこからうってかわって、バディ的になった女性ふたりが明るい世界に入ってゆき、ちょっと目を疑うファンタジックな建築に遭遇したりする。この起伏、変化に撃たれる。