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日本のメディアはあまり取り上げないが、昨年世界(もちろん主に中国だが)で700億円以上の興収を叩き出した同ジャンルの「唐人街探偵 東京MISSION」でも大役を演じていた長澤まさみは、この東宝&フジテレビによるフランチャイズ作品の作劇の拙さや作品世界の袋小路感を誰よりも正確に体感しているのではないだろうか。いずれにせよ、いまだに日本芸能界のコンテクストに拠った出オチに頼っているような作品を映画として評価するならば、★は一つ以外つけようがない。
あくまでもシリアスな「なん・なんだ」とは違って、今作はトキシック・マスキュリニティへの自己批判をカリカチュアしたコメディ作品。なのだが、上田慎一郎監督の過去作同様、プロットのための突飛な設定や展開のための仕掛けが多すぎて、自家中毒に陥っている。画的にあまりにもツカミのない冒頭シーンの時点で、作り手が映画的な審美性にはまったく興味がないことがわかる。それが作家としての個性であることは尊重するとしても、全体のテンポの悪さはいかんともしがたい。
ここ4、5年、特にアメリカで数え切れないほど作られてきた、そして最近ではさすがに食傷気味な、トキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)をテーマとした作品がようやく日本でも増えてきた。主演の下元史朗のキャリアや、烏丸せつこ演じる妻の生い立ちもふまえるなら、もしかしたらその射程には日本のピンク映画史も入っているのかもしれない。プロットやその着地にはそれなりに納得できるものの、紋切り型で時代遅れな台詞が、役者たちの繊細な表現を台無しにしている。
目ぼしいコミック原作を食い尽くしたからだろうか、あるいは角川のIP戦略の方針だろうか、近年増えてきているラノベの実写化作品。ハリウッドの「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のような成功例もあるので一概には言えないものの、自意識の幼稚さという点でコミック原作よりも筋の悪い作品も目立つ。本作も一歩間違えればそのワン・オブ・ゼムになっていたが、主要キャラクターを演じた役者たちの魅力と、二宮健監督の作品全体を俯瞰したデザイン力によって救われている。
長澤まさみの弾けっぷりは今回も上々で、コメディリリーフとして彼女のラフな演技に感心する。そもそもこのシリーズ、おふざけ上等、抜け駆けOK、リアリティとは無縁の大風呂敷を広げての大小の騙し合いが、ウリというか、見どころ。ただその大風呂敷や騙し合いがスクリーンの中だけの空騒ぎに終始し、観終わった途端、きれいサッパリなんにも残らない。消化がいいというより仲間同士のじゃれ合いばかりだからだ。いくら娯楽映画だと言ってもどこかに毒を入れてほしいと思ったり。
今どきイチモツ話?! と正直、戸惑うが、ノリと勢いばかりが目についた過去の作品と比べ、今回の上田監督、演出や映像にそれぞれ工夫があり、これで脚本をもうひと捻りして笑いを盛り込んだら、もっと面白くなったのに。中盤からイチモツ探しを兼ねた過去の自分探しとなり、あげく少年時代のように捕獲網をぶんまわし。ともあれドタバタ劇とは異なるシリアス風味で、主人公に降りかかったトンでも悲劇を、教訓話にすり替えるとは、なかなか達者。イチモツに幸あれ、なんてね。
何なんだ、この映画? シニア世代の夫が、妻に長年裏切られていたと知り、妻の過去を探りだそうとして、逆に打ちのめされ。演じている下元史朗は知る人ぞ知るキャリアの長い俳優だが、そもそもこの映画の製作意図がわからない。シニア世代向きの作品のつもりなら、シニアはこういう映画は観ないだろし、というよりシニアが観たがるような話ではない。妻の真実など気にも止めなかった夫の後悔話としても描写は歯切れが悪く、また妻も何だかなぁ。ごめん。他に言うことなし。
不勉強で原作のことは全く知らなかったが、主人公である大学生の破壊願望は若者の特権として小説や映画でかなり馴染みがある。いずれは時間に流されるか他に関心が向いて消えてしまう感情。いやその破壊願望から自滅する若者もいたが。主人公の場合は、ひょんなことから出会った若き実業家の取り巻きに加わったことで、その願望が反転しつつ加速していくのだが、バイト先でロボットのように扱われる主人公の大破壊へ至るエピソードは、映画として痛烈に納得できるものがある。
面白くなくはない。これだけいろいろ仕掛けて、俳優もチャーミングかつ頑張っていれば。ただ、ミスリードやどんでん返しが麻痺するほどにありすぎて、この映画はこういう話でこのキャラはこういう人物、ということがもはや液状化してる(長澤まさみのヒロインが表す感情すべてが信じられない)し、見せられているものがフェイクであるということが、全篇を覆う軽さの至極うまい言い訳として機能してしまうところが私にはなんだかズルく思えて、感覚が合わず。観てすいません。
映画とチンコの関係、映画におけるチンコについて日々考えをめぐらしているのでとても面白く観、感銘を受けた。友を裏切り、妻子を捨て、親と反目したままならたとえ成功してもある日チンコがとれてしまうぞ、という比喩として的を射た話を堂々と展開できる監督にはその不安はなく、ちゃんとやれているのだな、とも思う。それは立派だ。ところで女性による傑作チンコハンティング映画として「密猟妻 奥のうずき」(脚本いどあきお、監督菅野隆 81年)があることも記しておきたい。
自分がほぼ団塊世代(ちょい後発)の親の子としてほぼ団塊ジュニア世代くらいなので非常にいろいろ考えさせられるものを示された。政治体験と姿勢よりも気になったのはフェミニズム的視座の欠如とか男女間格差のほうだった。そこを男が楽をしてきたのが最終的にはつらいことになる、と思う。下元氏と佐野氏の共演はピンク映画的には座頭市と用心棒が戦うくらいの感じのはずだが、いや、そういう映画ではなかったですね。団地の遠景空撮画面がある時代の墓標のように見えた。
「ファイト・クラブ」は90年代を代表し、締めくくった凄い映画、殺気のある良い映画だった。本作はそれを踏襲し似ていることでちょっと家賃が高くなったというか、ヌルいと言われることは避けられない。睡眠不足で頭が壊れると気分や雰囲気を味わうことがなくなるが、その殺伐さが足りなかった。組織的破壊活動をなんとなくではなく、解決の発明だと信じさせる魔が欲しい。成河演じる元官僚が語る、ふと気づいた一切への虚無感、ああいう認識でもっと勝負すべきだったのでは。