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カメラは確かに正直だが、人間という被写体は虚勢をはる。肩から上はふつうの大人で、身体は3〜4才児のイケダ。自らカメラを手にして記録した風俗嬢とのセックス映像が、どこか茶目っ気があるのも虚勢なのかも。自作自演が興じてのヤラセの〈理想のデイト〉も、公園のブランコに乗ったり、ぎこちない会話で虚勢をはる。けれども画面に映り込むこの虚勢こそがイケダの凄いところで、その姿から目が離せない。自分の死を前提にしたイケダの愛と性をめぐる冒険に敬意を表したい。
SF作家ハインラインの原作は大昔に面白く読んだが、その映画化の本作、ロボット、コ―ルドスリ―プ、プラズマ蓄電池、時間転移装置などの科学的な仕掛けが、離れ離れになってしまった恋人たちが再会するための小道具でしかないのが話を小さくしてもの足りない。裏切り者の罠に掛かって30年も眠らされた主人公が目覚めたのが2025年、中途半端に近すぎてサスペンスに浸れない。脚本も演出も全体に及び腰? 一番心に残ったのは原作でも印象的だった猫ピートのエピソード。
以前、某脚本家が、シナリオ教室の生徒たちが書く脚本の多くが高校や大学を出て数年後という同窓会ものだ、と苦笑いをしていたが、新人監督(脚本も)による本作もその路線。ただこの作品の場合、脚本は若手俳優たちの集団売り出し作戦の方便として使われている節も。いやそうとしか思えないほど、どのキャラも目立つし、賑々しい。高3時に起きたある事件を、7年後のクラス会で検証し直すというのだが、回想で再現されるその事件が中学生レベル、観ていてナサケなかった。
負け犬人生を送る主人公のタケミチは、10年前のヤンキー時代に何度もタイムリープ、その度にボコボコにされる。でそんな自分にリベンジを。実をいうと本作、当初はストーリーの辻褄合わせを気にしながら観ていたのだが、ふと気がつけば、あれこれの些細なことなどどうでもよくなって、若い俳優たちが競い合うように演じるキャラの面白さと、パワフルな殴り合いにもう夢中、不良性感度の高い映画なのに、充実感がある。英監督の迷いのない演出とどさくさ紛れの小ネタにもニヤリ!
パートナーを亡くした経験のある男性が、自身とパートナーのセックスを映像として残しておけばよかった、と話していたのを聞いたことがある。セックスは、究極的にプライベートないとなみであるがゆえに、その瞬間の無意識的な人間の本性がむきだしになる行為でもある。しかしそれを撮影し始めると、そこにはセックスの相手との関係の先に、自身との対峙を余儀なくされる。善意と悪意、自己と他者との対話。そのなかで悩みもがいた池田さんは、やはり優しい人なのだと感じた。
ハインラインを意識したタイトルか、と思ったら、まさかの映画化。大林版「時をかける少女」を原体験とする三木監督だけあって、観ているあいだ、さまざまなジュブナイルの記憶がフィードバックした。しかし、たとえばリチャード・カーティスの「アバウト・タイム」のような知的洞察を期待して観ると、単にハインライン原作の枠組みを借りたジュブナイル的意匠の模倣にとどまってしまった感が否めない。シチュエーション、俳優の身体性、もう少し生かせなかったろうか。
イキのいい若手俳優たちによって、普遍的な青春の1ページを描き出した青空系映画を装いつつ、その普遍性の掘り下げがなかなかに辛辣。単にシチュエーションとして残酷というだけでなく、思春期男子の女子に対する性的な視線の暴力性、個人に対する学級集団の加害性など、実際に多くの人間が思い当たりながら向き合いきれない心の問題に踏み込んでいく。脚本も手がけた杉岡知哉監督、肚が据わっている。ただ、随所で安易に感情誘導的な芝居や音楽の付け方が目立つ点が惜しい。
相性のわるい英勉監督作品ということで警戒して観始めた(失礼!)。おなじみの類型的キャラと大仰な演技にやっぱりダメか、と思ったが、いつのまにやらキャラが豊かな実在感に満ちた人間に変転を遂げ、誰一人不幸にしてたまるか、という人間への寄り添い方にところどころジーンとさせられてしまった。エンドクレジットを確認すると脚本・髙橋泉。なるほどと膝を打った。演出はテンポばかりでなく情緒がほしいが、愛すべきバカモノたちの幸福を祈って★一つオマケ。
映画でひとりの人間に出会う。できたつもりでも、隠されている部分が相当あるのが通例。これは、それが少ないと断定したくなる。素材から作品を完成させたのは脚本の真野勝成と構成・編集の佐々木誠だが、どうでもこれを池田英彦の「監督作・遺作」にしているのは、ショッキングな面もあるその「本当の姿」以上に、語る力をもつ池田自身の言葉。いちおう感心したのは、表現としての危うさを、用意した虚構とそこから抜け出してしまうリアルなものという考え方で切り抜ける賢明さ。
ハインラインの原作は骨董品の部類だが、新訳が出たりもしてファン意識をかきたてる要素はあるのだろう。それを最近の日本を舞台に書きなおす。脚本の菅野友恵と三木監督は挑戦しがいがあると感じたにちがいない。しかし、冷凍睡眠と時間転移装置で一九九五年と二〇二五年を行き来する科学者の主人公宗一郎は、個人的に救いたいものがあるという動機以上の、私たちの生きる現実と科学への問いをもたない。未来で再会しようとする「キミ」への愛も、原作にある歪みを払拭していない。
開巻早々で、出てくる人物、だれも好きになれないと感じた。過去の高校時代にフケ顔の生徒が並ぶのは我慢するとしても、こんな傷つけあいを許してしまう愚かさやイヤシイ性格はだれでもかなりうまく演じられるのが見えてきて、どこまで元をたどって抗議すべきなのか、途方に暮れた。杉岡監督、後半40分の同窓会の「真実を暴こう!」で問題を片付けられると思ったのだろうか。そこで作られることになる、撮れてもいないような作品内「映画」のいいかげんさ。どう考えても、粗雑。
アイドル的男優の緊急課題が野球の大谷翔平の魅力に迫ることだとしたら、本作の泣き虫ヒーロー役北村匠海の表情と体の動きは高得点。タイムリープで過去を変更することが、既存のヤンキー物でふんぞり返ってきたものを地に引きおろすジャンル批判となり、ヤクザ映画以前からのヒロイズムを揺さぶる側面も。原作に明快さがある上に、関わる作品に必ず新手ありの脚本の髙橋泉との仕事で、英監督の手腕がいよいよ冴えた。ヤンキー、これと「地獄の花園」で打ち止めにしてもいいのでは。