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灯台、花火、ホタル、赤い傘、そして雨などをアクセントふうにちりばめた、重苦しい令和版の“青春残酷物語”。ホリプロ60周年の記念映画に、どうしてわざわざ、出自や状況に自虐的な男女高校生の話を企画したのか不明だが、主役の若い俳優たちをアピールするためだとしても、ちょっとイタダケない気も。いじめや、家庭内暴力、勝手な親に育てられた子供の話は、今や青春映画の定番でもあるが、主演2人の迷走、暴走は観ていて痛すぎツラすぎる。カメラワークには感心。
でっかいウソにはリアルなディテールを――。娯楽アクションの鉄則だが、この映画、ドラマシリーズを知らない人はあっち行って、と言わんばかりの導入部といい、記憶喪失という便利な逃げ道といい、企業誘致を巡る陰謀話といい、どれもこれも嘘の厚塗りにしか見えず、頭からシッポまで、シラジラしい。主人公夫婦の設定も、ブラピとA・ジョリー主演「Mr.&Mrs.スミス」の二番煎じ。ロケセットにけっこう金をかけアクションにも力を入れているが、作りの派手さより問題はハナシの中身。
裸足でうしろ歩きをする男の正体は、いったい何者なのか――。といった詮索はともかくとして、土着性に歴史と個人史を巧みに盛り込み、かつ下世話なエピソードも忘れないこの作品の凄さ、素晴らしさに拍手を送りたい。ミニマムな話なのに、モノクロの広々した田園風景が窮屈さを寄せ付けず、開けっぴろげのユーモアもある。死んで不在となった祖父の分身である手帳の、書き込みと絵。宝探しが奇しくも祖父という存在の重力になっているのもスリリング。演出も俳優陣もみな満点!!
かつて精神障害者を人目に触れないように隔離した事実は、沖縄だけでなく日本中に多くあったことだが、不勉強で今回初めて、“私宅監置”なる法的制度があったことを知り、改めて胸を突かれた。自宅の片隅に粗末な小屋やコンクリートの建物を作り、障碍者を押し込めていたいくつもの事例。このドキュメンタリーでは沖縄の障碍者に光を当ててその闇の歴史を語り、中でもその現場写真は痛ましくも説得力がある。ただ、サブタイトルで“沖縄”を特化していることにはチト疑問が。
孤独な魂が寄り合うことで起きる残酷な共鳴。この題材に井樫彩監督、適任と思った。主人公は「溶ける」の道田里羽や「真っ赤な星」の小松未来と同じく、心に埋めがたい欠落を抱えた少女だが、井樫監督は単にそのように設定されているからという前提から出発するのではなく、優希美青自身の内側から表出した言葉や表情をすくいとることでそれを表現してみせる。早坂伸のキャメラが、その微妙なうつろいとともに、孤独の投影としての風景をニューシネマ的な感度をもってとらえている。
中央アジア(というテロップもどうだろう)を舞台にした冒頭の「夢」シークエンスからして恐ろしく類型的で嫌な予感がただようが、夫婦像にせよ環境問題の扱いにせよ外国人の描写にせよ、すべてが広告代理店的なイメージの領域にとどまる、どころか、それらのもつ抑圧的・排他的な性質になんら批判を加えることなく「面白げ」にあるいは「感動的」に差し出してみせる手つきは不快きわまりない。80年代ハリウッド映画を100倍希釈したようなアクションシーンもダラダラと退屈。
四方田犬彦は、近年の日本映画が現在の社会に照らし合わされるかたちで当然描くべき歴史性にあまりにも無頓着であることを度々批判しているが、巷間自明のものとされているカッコ付きの「日本映画」の外側からこうした揺さぶりをかけられると、「永遠の0」程度を戦後日本のワクチンに見立てて有難がる欺瞞的な「空気」(山本七平)がますます薄気味悪く感じられてくる。暴力性の表現、そのヴァリエーションも豊富で、なかでも円井わんの瞬発的な怒りの爆発に虚を突かれる。
精神病者をめぐる私宅監置の歴史に切り込んだドキュメンタリーとしては、少しまえに今井友樹監督の「夜明け前」があった。見えにくいものの「見えにくさ」を生み出した原因はいったいなにか。それを描き出すために、容易には見えないこと自体を表現に昇華した今井作に対して、この映画は創作舞踏を駆使し、記憶の身体化を試みる。言葉と身体をとおして「消された」人々の存在がまざまざと再生されていくさまに胸をつかまれた。饒舌すぎるナレーションと音楽の使い方には疑問が残る。
青春映画。どこかでナチュラルを大事にしてほしいが、優希美青演じるウミも、井上祐貴演じる春川も、犬飼貴丈演じる航佑も、虚構の人物となるのに精一杯で、存在感が希薄。「バカだし、ガキだし」の若さに夢を感じさせない。この作品だけの罪ではないが、メイクが全体に嘘っぽい。その上、アクションのつなぎがよくない箇所も。名手早坂伸のカメラで、井樫監督、意欲的な凝り方もときに見せるが、筋立て上の問題だけでなく、ウミと春川がヒロインとヒーローになる瞬間を逃している。
テレビから映画へ。タイトルの楽しさに、綾瀬はるかの魅力とガンバリ。成算ありとした企画会議の期待を裏切らない仕事だとは思うが、アクション場面が弱い。装置的に半端なものを、慌てたように入る音楽がさらに大味にする。佐藤監督、ラストの仕掛けに自信をもちすぎたろうか。新エネルギー源開発で揺れる地方の町が舞台。後戻りできない計画と裏組織が人々の暮らしをおびやかす。善意の人もいて、ロシアと「公安」が絡み、個人的に動く諜報員もいる。出番がないのは痛快さか。
アンシュル・チョウハン監督、日本人が表現してきた「日本」の限界を突き破る自由さがある。個人的な執着と製作条件下での工夫からのファンタジー的要素だと思うが、内輪的な遊びや作りごとの退屈さとは無縁の、世界に向かう姿勢を感じた。余剰感のない白黒映像。円井わん演じるヒロインのソラがリアルな強さで躍動する。ラスト、とにかくカッコいい。理屈はどうでも、負けないということ。若松孝二や増村保造がやりたくてもできなかったことを見ている気がして、やられたと思った。
人々が知るべき事実。一九七二年まで続いた沖縄での精神病者の「私宅監置」。原監督が名分的な正義以上のものに突き動かされてきたのはわかる。人類への根源的な問いに向かおうとしているし、そういう成長を人に促す題材でもあるだろうが、ここでの表現方法には手抜かりを感じる。曖昧な主観の入り込むイメージ表現や撮影する自分の影を出す前に、事実そのものとその歴史的背景、そして現在との関わりをもっと探ってほしかった。カメラの位置に工夫がない。アフリカは要らなかった。