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そういえばバブルの頃だったか、高学歴、高身長、高収入の“三高”が理想の結婚相手だと騒がれていて、高けりゃなんでもいいのか、いっそ高山植物とでも結婚しろ、とアキレていた記憶がある。ま、それに比べれば男がみな賃貸マンション物件に見えてしまう本作の主人公などカワイイものだが、話のネタはそれっきり、これっきり、映画というより長めのコントがせいぜい。しかも主人公が働く小さな不動産屋にやってくる客はなぜか男ばかり。彼女が願掛けをする路地の地蔵の表情は愉快。
ちょっと私事になるが、東日本大震災から5年後、被害甚大の三陸周辺を友人と旅したことがある。タクシーで大震災の傷あとや復旧工事の現場を回ったのだが、どの運転手の方も、震災時の体験を語るよりも、ここはこうだった、ここにナニがあったと、震災前の土地の風景やその日常を語り、それが凄く印象的だった。本作の若い訪問者4人(とても感じがいい)が、地元の方々から聞く話も、そこで暮らしていた人々の営みで、まさに過去と現在の風景が二重写しとなって心に迫る。
わっ、愉快!! 近年の青春映画や青春コメディの定番キャラといえば、コミュケが苦手な男女ばかりで、いささかうんざりしていただけに、本作の口達者なヒロインと理屈屋の塾の講師、どっちもどっちでいい勝負。しかもすれ違う会話にさりげなく本音と毒が隠されていて。ことば(喋り)でその人物を見せるというのは古典的手法だが、脚本の高田亮はその辺りをしっかり押さえ、前田監督の演出もテンポよく軽妙。そして何より成田凌と清原果耶の弾力のある演技。笑ったぜ。
これが長篇第1作という竹本監督のチャレンジ精神には敬服する。ピアニストを目指すショパン少女とラフマニノフ少年の紆余曲折。当然演奏シーンも多く、ほとんどは練習場面だが、さしずめ、眼で聴き、耳で観るような――。けれどもあれこれの障害物を盛り込んだメロドラマ仕立ての脚本と、魂に響く音と言った台詞がかみ合わず、映画としての広がりも奥行きも希薄。世に出るための手段としてのコンクールやオーディションに固執するのは分からないでもないが、全体に頭でっかち!?
現状に充足できない主人公が、あるとき身の回りの変化を通じて、足元の「小確幸」を見つける物語、という意味では葛里華監督の前作「テラリウムロッカー」とも通じる。主人公を精一杯チャーミングに映し出している点も同様で、平井珠生の表情や動きがいちいち魅力的で可笑しい。ただ、これも前作同様、結論めいたものをはっきりセリフで言わせてしまうのはどうだろう。間取りの紙が降ってくるクライマックスなど、撮影は相当頑張っているだけに、もっと画で語らせられなかったろうか。
あの震災を受けて、大文字のメディアは、連帯すること、結束することこそが、大事を乗り越えるためになにより必要であるとさかんに喧伝した。しかし、そのように容易くわかり合ってみせることが、一方で「わかり合えないこと」の尊さから目を背けさせはしないだろうか。この映画は、震災という事実を媒介として、事実を共有することと思いを共有することがいかに本質的に異なるかを徹底的に映し出す。そのわかり合えなさに、もしかしたら人間の美しさがあるのかもしれない。
「婚前特急」でスクリューボール・コメディへの造詣を垣間見せた前田弘二監督+脚本・高田亮のコンビによる快作。このところTVバラエティの延長のような日本のコメディ映画を立て続けに観たせいもあってか、空間の切り取り方やファッションの配色など、品のある画づくりと俳優たちの優雅な動かし方(成田凌のクラシカルなたたずまいが映画のトーンにぴったり)に見惚れた。しかも社会が要請する「まとも」から否応なく外れてしまう主人公二人のドラマはすぐれて現代的である。
正攻法で真面目につくられた作品で、ともすればその真面目さが食い足りなさとなるところだが、低予算ゆえの画面のつつましさや本職でない役者たちのぎこちない演技がむしろ奏功し、押しつけがましさのない素直な感動を呼び起こす。アマチュア的座組の活かし方といい、音楽の使い方といい、往時の中尾幸世を想起させる水田汐音のたたずまいといい、どこか佐々木昭一郎の作品に通じるテイストも。ラストシーンのフェイドアウト、そのタイミングと余韻が心地よい。
不動産屋に勤めるヒロインは、仕事でも同棲相手との関係でも手痛い反発を食らいながら、自分のどこがよくないのか思いつかない。性格はよいが、考える力がないという造型になっている。演じる平井珠生も葛監督も、それなりにノッテいるようだが、この現在にこれでは「女性」をバカにしていると思う。夜の散歩に出たときの衣装がひどいと思ったら、そのあとそれをずっと着っぱなし。病的に、男の顔が物件の間取りに見えるようになる。アイディアも表現もその病いへの思考が足りない。
3・11からの時間に対して何をすべきか。ちゃんと考えていると思った。「空に聞く」でコンパクトに当事者のいまに寄りそった小森はるかと、ジャンルをこえていま書くべきことを見出す瀬尾夏美のコンビの、画と言葉。押し合っても大丈夫という立ち方が双方にある。当事者ではない四人が当事者から受けとったものをどう伝えるか。被災地に出入りした表現者の多くとはちがう質の持続から生まれた発想であり、発見がある。おいしそうな食卓を囲む家族を見ただけでもうれしくなった。
日本では定着しなかったスクリューボール・コメディを狙ったのだとすると、進行の予想外の度合いがもうひとつで、スクリューが曲がり切らない。でも、見終わって楽しかったなあと思わせるものはある。いちばんの功績は、主人公の予備校講師大野を演じる成田凌。頭のいい役で「普通」がわからないというのが新鮮。前田監督と脚本の高田亮、いままで以上に、セリフのテンポで運んでしまえ、だったのか。ヒロイン清原果耶が荒れるバーの場面に勢揃いした男たちの面々、これは文句なし。
阪神淡路大震災の記憶と「左手のピアニスト」をめぐる事実。語るべきことが確かにある。関係者はこれを劇映画にすることに夢を感じたのだろう。震災前後の時代感覚をも遥かにさかのぼった昔を感じさせる「まじめさ」にまず当惑するが、それにしても、なぜこんな話なのか。人物の心の動き、運命の罠にハマっているだけ。深刻顔とわざとらしい芝居はやめてピアノの力を信じなさいと言いたくなった。竹本監督、場面の空気をもっと重視すべきだ。題名にあるショパンも活かしていない。