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大仰なタイトルと反比例するような、上げ底、スカスカの脚本にガックリ。おっとごめんなさい。伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞の、審査員奨励賞受賞作を、受賞者本人が監督しているのだが、“かくも”どころか、“長き”も“道のり”も一切描かれず、ドラマの大役を仕留めたらしい主人公が、ホンの数日間、故郷に戻っての話。で彼女には父娘ほどの年の離れた愛人だか、恩人だかがいて。主人公を含め、どの人物もポーズだけでウサン臭い。ロケ地の美しい風景だけが救い……。
このアイドルオタクたちの群像劇を観て、なぜか、赤信号、みんなで渡れば怖くない、というトンデモ川柳を思い出してしまった。年齢もキャラもバラバラなオタクたちの、推しを巡るハシャいだ会話や、文字通りの裸の付き合い。後半は同窓会的なノリの友情劇となるが、門外漢には一種の秘密結社にも見えるオタクたちの友情は、これはこれで説得力がある。俳優陣のアンサンブル演技もいい。そういえば今回の芥川賞はアイドルオタクを描いた宇佐見りんの『推し、燃ゆ』。オタクは強し!!
小さな集団の不協和音を、語りすぎないいくつかのエピソードと、風景や様々なもののアップ映像でつなぐ演出手法は、三澤監督の前作「3泊4日、5時の鐘」と同じだが、ザワツキ感は今回の方が格段に上。ずっと時間と場所を共有してきた4人組の、微妙な力関係と曖昧な共犯意識。4人は仕事中でも遊びでもひっきりなしにタバコを吸い続ける。でも冒頭で「私は覚えている」とノートに書く若い女は何者? 若い俳優たちがみな好演、湘南風景も効果的なだけに妙な気取りが惜しまれる。
ストーリー、キャラクター、演技、演出、盛り付けもみごとな頼もしい秀作。日本人には上流階級は描けないと言ったのは確か三島由紀夫だが、そこはほどほどにして、お嬢さま育ちの門脇麦の芯の強さを柔らかに描き出し、一方で地方出身・水原希子の、都会での立ち位置の曖昧さを絶妙に描く。大学内のヒエラルキーを描いた「愚行録」を連想させるような場面もあるが、冷静な遠景に留めているのも巧い。この作品に限っては役名より演じている女優たちの名前を先行したい。岨手監督、凄い!!
シナリオ賞を受賞した脚本を自身で映画化した屋良朝建監督。思い入れの深さは疑いようがないが、こうして映像になったものを観るかぎり、すでに出来上がった「物語」への愛着に縛られてしまい、映画の話法をもって「物語る」とはどういうことなのかが問い直されていないと感じる。ジャズもダンスもすべてが消化不良。組み立てられた物語を愚直に演じた結果、身体性を発揮できずに終わった役者たちのなかで、唯一、デビット伊東だけが持ち前の野放図さを発揮して好演している。
1979年生まれの劔樹人の原作を、75年生まれの冨永昌敬が脚色し、81年生まれの今泉力哉が監督して映画化。この三者の微妙な年齢差がおそらく重要で、主人公たちに対して一歩引いた距離感を保つ冨永のシナリオを、「同時代の子ども」だった今泉の視線のやさしさが包み込み、さらにそれを松坂桃李ら現代の若手たちが演じることで、「あの頃」が現在へと否応なく接続される。下手な俳優に演じさせたら臭みが先に立つセリフをいまおかしんじに言わせるバランス感覚も特筆もの。
「3泊4日、5時の鐘」同様、生まれ育った茅ケ崎のまちを舞台にした三澤拓哉監督作品だが、単に慣れ親しんだ場所だからというだけでなく、この監督には空間と人物の関係をシームレスにとらえる独特のセンスがある。だから、人物が映っていない風景にも(アルミの壁や鈴でさえも!)人間の気配があり、人物のたたずまいもまた特定の風景を背負っている。若い役者たちが皆、リアルな身体性を発揮しているが、「~5時の鐘」でも出色だった堀夏子の得体の知れなさが魅力的。
近年の少なからぬ作品が、ジェンダーや階層に対して「無効化」をもって抗おうとした結果、却ってある種の息苦しさを抱え込んでしまうのとは一線を画し、この映画は現在の社会における「女性性」「男性性」の自明性を直視し、そのうえでそれを成立せしめる構造的な問題へと観る者を自然にいざなう。「グッド・ストライプス」でもそうだったように、あくまで個人のドラマに立脚した岨手由貴子監督の誠実さが光る。自分事として役を生きた門脇麦、水原希子も素晴らしい。
駆け出し女優のヒロインは話し方に個性がある。演じる北村優衣の地が出ているのか。その存在感や演技の質とキャラクターの重なりが一番の取柄かもしれない。故郷の町にいる、何者なのかよくわからない、デビット伊東演じる二十五歳年上の男との関係がどうなるかという話。こんな例はあまりないと思うが、結局、この設定で男たちのすることは、いかにもありそうな自滅と後退にしかならない。屋良監督、この筋に体験的な裏打ちがあったのか。ジャズの名曲、使ったというだけの響き方。
原作は劔樹人の自伝的エッセイ。実話の窮屈さもあったはずだが、松坂桃李が劔を演じる。やってくれるなあと前半は思った。展開的に難なく収まる役どころが、ちょっと惜しい。群像劇。アイドルファンのとくにディープな例で関西だ。芸も音楽能力も達者揃いのキャスティングで楽しませる。冨永脚本も、今泉監督も、勝負は仲野太賀演じるひねくれ者コズミンの救い方か。覚悟の強靭さを感じさせる描き方だ。今日のイヤなやつ、面倒くさいやつ、哀れなやつたち図鑑への可能性を感じた。
構図、画質、編集、音楽の入れ方、まずはいわゆるスタイリッシュでカッコいいと思わせるが、人物に魅力がなさすぎる。こういう若者たち、実際にいるのだとしても応対に困る。怯えとズルさで友情を変質させて狭い場所でくっつき、小さな権力を振るうか振るわれるかの違いはあれ、基本は同質の受け身。アジアの青春の惨めな例だとして、こんなアジアは蹴っとばせではないか。才能を感じさせる三澤監督。残念ながらここはインサート的映像の多用と謎めかした筋の運びに溺れたという印象。
東京の金持ち階級の、結婚相手を見つけるのに苦労する令嬢が門脇麦。どんな家族で、彼女がどう大変なのかを見せていき、ついに理想的な相手らしい高良健吾に出会うまでの第一章は、役ではなく演じる門脇に同情したくなるほどの誇張感。水原希子が登場する第二章以降は悪くなかった。女優陣、それぞれ意地と思考力ありの役にしている健闘ぶり。とくに水原の輝きは、脚本的にもうひと伸びあれば文句なしだった。岨手監督、手堅く「細雪」以来の女性物の系譜に新しいページを加えた。