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憲法関連のドラマやドキュメンタリーは決して少なくないが、GHQリードによる日本国憲法誕生秘話!?を、日米双方の思惑から描いたこの作品、どうも話が中途半端に広がりすぎていまいち摑みどころがない。伊藤監督は吉田茂と白洲次郎の行動を肯定的に描きつつ、GHQ、つまり日本を骨抜きにしようとするアメリカ側の狙いを俎上に載せているが、作品全体が、それなりの規模の再現ドラマのようで、観終わっていささかキョトン。吉田茂役・小林薫のそっくりさんメイクには感心!
ナントまァシラジラしい。ドキュメンタリーという体裁を口実に、私立・和光小学校のPR映画ってんだから。創立1933年。これだけ歴史があるってことは、子供の自主性を優先するという、その教育方針に賛同する親も少なくないってことだろう。実際ここの子供たちはモノ怖じせずに自由に喋り、何ごとにも積極的。けれども授業に学校行事等を総花的に誇示し、ナレーションでさらにホメ上げるその作りは、まんま、企業が商品や業績を売るって映画のそれ。記録映画もカタなしね。
いまいち素っ気ないタイトルは将棋AIの名。かつてプロの棋士を目指したというその開発者をモデルにして、主人公の内面的揺れを行動で追っていくのだが、将棋盤やコンピュータ相手の寡黙な場面がかなり多い。が小細工のない吉沢亮の演技と腰の据わった演出が、主人公のある種の屈折した野心を感じさせ、この辺り、みごと。終盤の電王戦では棋士とAI双方の緊張した息使いまで手にとるよう。開放感や達成感とは別の、ある種の充実感が体験できる、野心的な作品である。
先行した実写版より今回のアニメ版の方が素直に楽しめたのは、車椅子娘のジョゼが、絵や動き、台詞などから“純化”というか、かなり抽象化しているからだろう。実写版ではどうしてもリアルな存在として演出にも限界があるが、その点、アニメは飛ぶのも遊ぶのも自由自在。ジョゼが読書家で絵を描くのが趣味というのも表現の広がりとなり、そういう意味ではアニメ向きの原作なのかも。各キャラクターの造形や背景描写も丁寧で好ましく、それぞれの思いが台詞以外からも透けて見える。
今回は偶然にも「題材と手法」の関係について思い巡らされる映画が揃った。白洲次郎をことさら英雄視する風潮は気色わるいが、そのようなある種の狂信的な愛国しぐさまでもひっくるめて、この映画はなかなか見せる。昨今の監督なら躊躇してしまうであろうチープな絵解き演出すらも臆面なくやってのけるところはさすが伊藤俊也。ただし、「犬神の悪霊」とは言わず「プライド」とくらべても、役者の顔面力の引き出しがやや弱く、この点については渡辺文樹に軍配が上がる。
子どもたちの表情も、彼らを導き、見守る大人たちのことばも、すべてがまっすぐで素晴らしい。しかし、高橋惠子の端正な語りと岩代太郎の端正な音楽が、その素晴らしさをひたすら称揚し増幅させることで、有無を言わさぬ方向へと観客の感情を誘導していくつくりには、「ドキュメンタリー(記録)」が「映画(表現)」として屹立するために必要とされる最低限のつつしみが感じられない。もっと静かに、もっと見つめることに踏みとどまらないと、伝わるものも伝わらなくなる。
人目を引く題材を若者たちの青春群像劇に律義に落とし込んでみたという感じだが、参照先がいくらでも探し出せそうな型の上に制作体制的にもお膳立てが整いすぎたと見え、山田監督にとって商業映画第1作でありながら、定石を踏み越えるような躍動の瞬間が一度も訪れない。その結果、若い俳優たちの熱量ばかりが空回りしてしまっている。「好きなこと」を題材とするのはもちろん大切なことだが、それを形にするときに自分の持っている知識を疑うような自己言及性があってほしい。
原作小説は田辺聖子ならではの一歩引いた人間洞察にひねくれた面白味があり、犬童一心監督、渡辺あや脚本の実写映画はそれとはまた違うタイプの厳しさを根底にしのばせる作品になっていた。この映画はむしろ近年の青春アニメ路線に親和性をもたせたつくりで、その意味ではもっともわかりやすいが、一方で非共感的であることに支えられたファンタジーの奥行きは失われてしまっている。意図されたであろう背景と人物が極端に乖離した作画も、あまり効果的とは思えない。
日本国憲法を、アメリカに押しつけられた、日本人から死者との絆を奪うものだとして、その内容の価値そのものを考えない立場からの作品。この企画に執念をもった伊藤監督。どこからこういう意見に与するようになったのか。意外でもないのかな。作品表現としてはかなりお粗末。松本蒸治役の柄本明以外は、ただセリフを言っているだけで人間としての造型がほとんどできていない。とくにアメリカ人たちはひどい。登場する作家吉田満も、おざなりの回想のせいで仕事の真価が見えない。
独自な教育の和光小学校。その一年間の、季節の行事を追っていく。よくやるなあ、偉いなあと感心しないわけにはいかない先生たち。軌道に乗って自分を活かす生徒たち。主人公はいない。沖縄についての学習など、そこまでやるのかと驚いた。しかし、増田監督と房監督、どう感じたのかを言う作り方をしていない。「なんか、いいわね」といった調子で語りかけるナレーションは間のびしている。多くの日本の若者の恥ずかしいほどの幼さ、こういう教育を受けていたら違ってくるとは思った。
将棋で棋士とコンピュータがたたかった「電王戦」から着想した作品。藤井聡太登場以来の本物のおもしろさに対して、負けない要素を、元奨励会員がコンピュータのプログラムを開発したという事実から引き出している。新人の山田監督、プログラミングにのめりこむ吉沢亮の主人公をライヴァルとするくらいの熱意でやったと思える仕事だ。あえて盛らない。音楽もシンプル。でも、自分を出している。何よりも、主要人物それぞれの演技の基本がしっかりしている感じが気持ちよかった。
田辺聖子の原作は一九八四年、渡辺あや脚本で犬童一心監督の実写版ヒット作は二〇〇三年。時間の経過は、足の不自由なジョゼの外出を祖母が制限するという設定を突きくずしたと思う。脚本の桑村さや香とタムラ監督、雑な仕事ではないと思うが、まず、その対処を考えていないのが弱い。次に、ジョゼの出会う恒夫の作り方。メキシコ行きの夢、事故、立ち直り、そして気づきという展開には、いつの話だと呆れた。一方、現実感を犠牲にしても、というファンタジー的楽しさも、遠慮気味。