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三宅洋平の顔が記憶に残る。とりわけ、涙を流している顔が。なんで涙を流したかは、わからない。彼は緑の党の推薦を受け、前回の参院選に立候補し、街頭での音楽をまじえた話と、ネットでのやりとりで、17万6970票を獲得したが、落選。一方、それより7万票も少ないワタミの渡邊美樹は自民党ゆえに当選した。そこに比例代表制なるものの落とし穴がある。それを露呈させたことも含め、話しあいこそ民主主義の根幹という三宅の素朴な運動は、現在の状況への実践的な批判である。
チャラン・ポ・ランタンが、凹んでいるコトリに向かって、♪コトリは悪くなーい、って歌うんだけど、ワタシだったら、それに続けて、悪くないけど、おバカさーん、と歌うな。そりゃね、豆大福食べながら本を読むのが大好きな大学生だから、世間知がないっていうのはいいけれど、そのレベル設定が低すぎないか? もっとエキセントリックな世間知らずなら、面白いんだけどね。それではファンタスティックにならないというとしたら、そもそものファンタジーの水準が低すぎるのです。
一寸先は闇、というほどではないが、実際、先がどうなるか予想がつかない。といっても、もっともインパクトがあるのは最初の一撃で、以後、次第にボルテージは下がるのだが。それでも、ヒロインを追い詰め、その度に彼女のキャラが変わっていくハチャメチャな展開は、好みは別にして、それなりに楽しめる。惜しむらくは、結末の付け方か。一つのイメージを突き破ると新たなイメージが現れ、それに追われてまた……という流れを徹底せず、理に落ちた結末を暗示するのは、頂けない。
ご存知テレビドラマの劇場版。それ以上でも、それ以下でもない。お馴染みのキャラが、ブラウン管ならぬスクリーンから、また来たよ、と観客に手を振らんばかりに賑々しく登場する。むろん、それぞれのキャラは、額面通りで裏も表もない。お決まりの型からはみ出したりしたら、観客が戸惑うだけだからだ。お話も、必死で逃げているはずの女の走りをスローモーションで見せるように、ゆるーく展開するのも、お約束通り。だから、これが、どのくらいの観客を集めるかだけが、気になる。
ぎこちない、上手ではないドキュメンタリーだが、主人公への寄り添いと音楽的な盛り上がりに観るべきものがある熱い作品。あらためて映画がプロパガンダの手段としてかなりイケるということも感じさせる。三宅洋平氏の演説を音楽とともにつないだ箇所があるがそこのカッコよさと聴かせる力はかなりやばい。だが、宣伝だけの映画、は避けられていた。応援でひとこと喋ってから『ゆれる』という曲をやる田我流も素晴らしかった。政治の方向に広がることも豊かなのだと示唆する作品。
以前この欄で紹介した「おんなのこきらい」と同様に、映画企画・宣伝会社スポッテッドのアピールする宣伝ビジュアルはポップさばかりを予期させるが本篇を観るとその要素もありながら、今の世の中の若い女性の等身大人生の重みと暗さをも描いていて、そこに意外さと面白さと価値がある。現実の厭な感じに立ち向かうため女の子のカラフルな幻想があるという設定に、なるほど、と。脚本、スジの狙いは悪くない。ただ、セックスに関する描写をオフにしなければもっと良かった、とも。
まさに有卦に入る園子温監督。好きな監督だと思ったことはないが、93年「部屋」以降ほぼ全作をリアルタイムで体験、「夢の中へ」とか観た奴には会ったことない、みたいな状況だったが、いまや……。最近もこの欄で立て続けに「新宿スワン」「ラブ&ピース」を扱った。世の中がやっと園子温にシンクロしたか。個々の作品には是々非々で、手抜きを疑うこともあるが、常にあくどいウリを映画に仕掛けることには畏敬の念を感じる。本作でも過去映画化に比して一段派手さを上乗せ。
01年初放映時の平均視聴率が34%超えという人気ドラマであり、それって四千三百万人ぐらいが観たわけだし、その後も単発のスペシャル、劇場版、昨年もまた全十一回のシーズン2があったのに、私はまったく一回も一場面も観たことがなく基本的な設定すら知らなかった。別に片方の眉毛を剃り落として山に籠っていたわけでもないが。アホである。こんな人間が本作に対して何か言っていいの?(なかなか面白かった。民間外交の可能性を感じた。木村拓哉は鳩山由紀夫のようだった)
ミュージシャン・三宅洋平の、時代に即した型にはまらぬ選挙活動(正しくは〝選挙フェス〟という名の全国ツアー)に賭けたひと夏。34歳の男が日本という国を変えるべく立ち上がり、歌い、叫び、怒り、苛立ち、見知らぬ人々と対話しながら奔走する姿を、彼と同世代の杉岡太樹がギリギリの至近距離で見つめる。涙で始まり、涙で幕を閉じた、「一滴の血も流さない革命」。この危ういまでの〝若さ〟こそ本作の肝だろう。忌野清志郎亡き後、政治への無関心を揺るがしうる熱は十分感じ取れた。
目指したのは〝日本の「アメリ」〟、か。主人公のコトリは、クレーム・ブリュレではなく豆大福を愛し、本好きで書物の引用を人生訓とする女の子だが、本から得た薀蓄を訳知り顔で語るような小生意気さは一切なく、はなから無個性。それゆえか後半、現実の苦さを知り、生を実践することの壁にぶち当たっても、逃避せざるを得ない妄想世界と今いる場所とのギャップが見えず、彼女の苦悩が胸に迫ってこなかった。お洒落にコーティングされていても、ずっしり重い中身がほしい。豆大福然り。
女子高生が修学旅行のバスの中ではしゃいでいる。そんな光景が、一陣の風によって一転地獄絵図に。あの「自殺サークル」のJK集団飛び込みシーンを思い出させる開幕から、見たことがないような描写が次々。特に序盤は、何が起こるか予測不能な緊迫感で惹きつける。劇中のセリフ「シュールに負けるな!」がテーマとも思える何でもアリなこの作品。ただ、シュールもあまりに立て続けだと耐性がつき、次第に何が起こっても驚かなくなる。そんな自分はもしや「シュールに負けた」のか!?
人気TVシリーズの劇場版は、ファンにとっては一つのお祭りだ。新たな展開も当然必要だが、お約束をお約束として頑なに守り抜く、揺るぎない盤石さが根幹に求められる。その上で、ドラマ版よりゴージャスに、スケールも大きく、何らかのサプライズを盛り込むことも必須。今回は、8年前の劇場版のラストで予想外のキスシーンで幕を閉じたまま登場していなかった松たか子演じる雨宮舞子の復活が最大の鍵であり、見どころに。事実、松のコメディエンヌぶりが何より強く印象に残った。