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斬る人、武蔵――。山道や野っ原、寂れた集落などを吉岡一門と追いつ追われつしながら、77分、カットなしで、ただただ斬り捨て、斬り進む。ほとんど無言の武蔵の斬り捨てアクションに特化したのは、坂口拓の狙いなのだろうが、設定がシンプルなので観ながら雑念が次々。カメラやアクションだけではなく、太陽の動きまで気になり、遂には延べ400人という斬られ役たちの、2度、3度の使い回し(!?)を想像したり。が、終盤のプラス映像はかなり鮮烈で、老いた武蔵には死霊の影も。
大学生のボク(吉沢亮)の幼稚な自意識の迷走、暴走を、サスペンス仕立てで描いているが、開けてビックリの独り相撲で、まさにタイトルに偽りなしの“青さと痛さ”。ま、それを言えば、ボクに嫉妬という種をまくことになる彼女(杉咲花)も、“世界を変えよう”“なりたい自分になろう”が口ぐせの青くさ系のキャラだが、彼女は本気でそう思っていて、ボクのような自意識はない。杉咲花の裏表のない口跡の良さはこの映画の救いだが、そんな彼女をKYふうに扱うのも何だかね。
おお、舞台が紀州・和歌山ということで、さりげなく(いや誰でも気付くか)安珍・清姫伝説を引用、そういう配慮を含め、かなり野心的でアクティブな脚本・演出だ。きつい状況設定で、若い男女をイッキに逃避行させるのも、ドラマ性に欠けるヤワな話ばかりの日本映画にウンザリしているこちらには刺激的。ただ刺激的ではあるけれども、若い男女のどちらも新聞の社会面から切り抜いたような既視感があり、逃避行もごっこのノリ。もっと挑発的な展開をしてほしかったと思う。
1にjan and naomiの楽曲、2も同じ、3、4がなくて、5が佐藤蛍。いや、これは言いすぎか。演出も達者である。思い出の海岸で偶然再会した元恋人どうしの男と女。忘れられない過去か。忘れたい過去か。その記憶と時間のズレを、別れたときに相手が着ていた衣服で視覚化する辺りは巧みだし、相手の不誠実さを互いになじりあうシーンの背後の柳の揺れ。それでも別れるべくして別れた2人の再会メロドラマとしてはスケッチの域を出ず、楽曲の余韻の方が断然、強い。
スローモーションとモノクロ映像を駆使した「スタイリッシュ」な冒頭に早くもいやな予感がつのる。そこからこの映画の最大の(そして唯一の)ウリらしい77分ワンカットの吉岡一門との乱闘シーンへとなだれ込むが、手持ちキャメラで武蔵の背後からその足取りをとらえるだけで、なんの変化も工夫もない。斬られたあと早足でフレームアウトする刺客たちには失笑(ダウンタウンの番組にこんなのあったぞ)。自慢気に撮影風景のスチルを見せられても、いったいどう思えばいいのやら。
小説を映画化する際に、なんのためらいもなくモノローグを多用する芸のなさ。現代日本メジャー映画によく見られる悪癖のひとつである。この映画でも心情説明はすべてモノローグ。さらに「コミュニケーションが苦手」「空気が読めない」といったキャラクター類型から一歩もはみ出さない人物演出の貧しさがそれに追い打ちをかける。吉沢亮、杉咲花、岡山天音、松本穂香、森七菜といまもっともイキのいい若手陣に柄本佑まで出ていて、この精彩のなさはどういうことか。
孤独な魂の寄り合いの旅路。観ながら、さまざまな映画の記憶がフラッシュバックした。風景そのものに人物の心象を語らせようとする手つきは「地獄の逃避行」を思わせる。撮影は、とクレジットを確認すると「岬の兄妹」を手がけた池田直矢。なるほど、巧い。いまこのタイミングで観られるのにふさわしいつつましさ。外山監督と製作の小泉今日子、豊原功補に「映画屋」の矜持を感じる。そして、孤独と痛みを引き受ける役柄を演じさせたら右の出る者のいない俳優となった村上虹郎、いい。
「ソワレ」には印象的な「シルエット」のシーンが出てくるが、この映画は徹頭徹尾ふたつのシルエットの交錯と反発のなかでなにかを描き出そうとしている。それがなにか、画面を見るかぎりではわからない。わからないが、ただ二人で時間を共有することがかけがえのないいとなみに感じられる。それだけを静かに見つめる竹馬靖具監督の視線には一切の虚飾がない。こういう瞬間、たしかにあったな、と思った。音楽が重要なファクターとなるが、ラストは無音。なかなか唸らせる。
おそらく、問題の多い出来ばえの、しかし苦労して撮った、殺陣がえんえんと続くワンシーン・ワンカットがあり、時間を経たのちになんとかそれを活かそうとしたものだろう。下村監督、関与度はわからないが、お疲れさまである。まず、殺陣シーンの問題点。斬れていない。叩いている。血糊の袋が破れるだけ。そういうこと以上に、人を斬ること、人を殺すことについて考察が感じられない。後処理のほうも悲惨だ。この武蔵は、狂っているのではなく、キャラクターにたどりつけないのだ。
最近の大学。こんな学生もいてそんなサークルもあるだろうと思わせるくらいにはよくできているが、不満も募った。原作者住野よるから設定と物語以外にも貰うべきものがあったはずだ。他人との距離をおきたい主人公の楓。吉沢亮と狩山監督なら、消極性ゆえの誤解から復讐を企むだけじゃない「新しい男性」にできたのではないか。鈴木常吉、出ていて涙だが、彼の風情にそのヒントがあった気もする。杉咲花演じる秋好も「痛い」登場をしながら、いまらしい「痛い」を担いそこなった。
メインタイトルまで三十六分。バタバタもするが、アラブ音楽の前奏的な自信にみちたタメを感じた。外山監督、進むべき道に躍りでている。このつなぎでその画をもってくるのかという快い驚きが何度も。最初から逃げきれそうにない逃避行だが、村上虹郎の翔太も、芋生悠のタカラも、まさに生きる理由にむかって輝きを増していき、ラスト二十分、本当にいい。「安珍と清姫」の芝居も決まった。大島渚「青春残酷物語」や長谷川和彦「青春の殺人者」ができなかったことが、確かにここに。
jan and naomi の曲の長いPVだとすると、持ち込まれた芝居が内容的にも演技の質としても硬直していて、音楽のじゃまをしているだけということになりそうだ。三十七分の尺だが、言い切っているものがない。竹馬監督も、演じる佐藤蛍と足立智充も、いろいろと計算違いがあると思う。たとえば過去と現在を衣装の変化で見せようとしているが、その衣装が記号でしかなく、ちゃんと着ている服になっていない。そもそも、こんな焼けぼっくいに火をつけてどうなるんだというつまらない話。