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これもまた母娘の物語、その先に父の禍々しい残像も浮かび、日記をつけるヒロインについD・リンチ父娘を思いローラ・パーマー、ツイン・ピークスと連想するうちにヘンタイなストーカーが悪夢と現実の際に出没するこの閉ざされた世界の淡緑色の闇と点在する赤にふむふむと勝手な既視感を耕した。いっぽうで石井隆「甘い鞭」に連なる母娘のメロドラマの先の女の解放の物語をも夢見て、でもしかしそんな観客の勝手な妄想に映画が付いてきてくれないなんて理不尽な欲求不満が燻った。惜しい。
目の上のたんこぶ的世代の伝説的存在として同時代的には素通りしていたディランに迫ってアメリカとその時代をも堪能させてくれたスコセッシ「ノー・ディレクション・ホーム」と同様に、頭脳警察以上にそこで追われる時代がスリリングに迫ってくる。アメリカが近くにあったと基地の子PANTAが現地再訪で振り返る米軍軍曹とハモニカの思い出は、アメリカ映画の記憶とも重なるようで他人事でなく胸に迫る。傍らの人TOSHIの軽みの重さ、その貴重さを掬う眼差しも面白い。
一足先に海外で注目された監督、そのインタビューに画家フレデリック・レイトンのタブローに触発されたとあって、体を丸めた少女のアンニュイな官能性をはじめとする視覚面での映画の魅力をなるほどと嚙みしめた。ただ、そんな少女をめぐる隔離された世界、その芯となる筈の母と娘とその娘の関係、フェミニズムの部分があやふやで鼻じらむ。「エコール」「エヴォリューション」のアザリロヴィックの“感覚する世界”を裏打ちしている確かな志向と嗜好と思考の均衡を懐かしんだ。
スケートボードで結ばれた4人組、とりわけその技を光らせるふたりをめぐる友情の行方、親との葛藤、青春の光と影――、かいつまんでしまえばいかにも手垢に塗れた青春映画のパターン、百万遍繰り返された物語に違いない。それを違わせるのがスケートボードそのものの映像的な力というわけで、切り取られるテクニック、競われるその精度、それそのものをみつめる“実写映画精神”、演技はいらない――といった清水宏的アプローチがもう少し徹底されてもよかったかもしれない。
「銃」の世界に取り憑かれた奥山和由、90年代の「RAMPO」で見せた、いささか空回りと思えるほどの執念は依然衰えていない。そうした先走った熱情に、きっちり「物語」を与えた武正晴演出、日南響子の身体性と呼応し、75分という短尺のなかで負の共鳴というべきドラマを一気に見せきる。もう一寸、石井隆作品のような妄執への踏み込みがあればと思った。佐藤浩市が「トカレフ」「GONIN」の頃の野放図な狂気をにじませていて嬉しくなる。銃サーガ、まだまだ続くか。
PANTA、TOSHI、次々登場する豪華な顔ぶれ、語られていることばはもちろん興味深いのだが、ほとんどが三脚も使用せずブレブレ。要するに、立ち合ったイベントで急きょ撮影した映像を話が通るようにつないでみせた、という以上のたくらみがない(頭脳警察を撮るのにお行儀よくやれとは言わないが)。クリミアでのライブにせよ、水族館劇場での50周年1stライブにせよ、そこでのことば、音楽を受けて、映画がどうそれに拮抗する表現たりうるかが重要なはずではないか。
中川龍太郎監督の作品で美術・衣裳スタッフを務めていたという速水監督。隅々まで目配りの行き届いた画面づくり、村松良の美しい撮影も手伝って見応えがある。女性共同体、自然信仰、性的抑圧からの解放……どこか河瀨直美監督の作品に通じる感触も。だがあまりにスタイリッシュに決まりすぎた画面に詩的なモノローグとヒーリング的な音楽がかぶさることで、自身と母親との関係性を重ね合わせたという監督の情動が洗練のうちにぼやけてしまった気がする。もっと無造作でいい。
〈スケートボード文化圏〉とでも呼ぶべき若者たちのモラトリアムを、それを成立せしめる内部要素だけで描き切ろうとする映画で、これを自己完結的ととるか、表現衝動の素直な発露ととるかで評価が分かれそうだが、ボードを手入れするタイトルバックから、SNSを通じた拡散の光景、つけめんへの執着、そしてこのカルチュアが都市の現在と有機的にかかわっていること等が示され、ブルース&デイナ・ブラウンのサーフィン映画を思わせる「生き方」映画として侮り難いと感じた。
どこまで行っても初心。作家中村文則の魅力のひとつはそれだ。ヒロイン東子の幼い日々の回想を見ながらそう思った。それは悪への初心でもある。日南響子演じる成長した東子が生きる世界は、蓄積された怯えからの悪夢であると同時に人が心の奥で映画に求める「解き放つ力」を顕現させる。拳銃を拾う。その拳銃が愛しい異性のようになる。銃とともに何をするか。何が現れるか。前作「銃」とはまったく異なる質を感じた。武監督、職人的効率から外れる撮り方がいままでになく刺激的。
厚ぼったく年をとらない方がいいとしたら、PANTAは容貌も半世紀にわたる活動からおびる情報量も大変なことになっている。だが、彼はいいのだ。戦果の自認とオマージュに溺れることなく、茶目っ気ありの人としてすっきりしたところに抜けている。TOSHIとの頭脳警察。若いメンバーも入れて助けられていると思う。過去のこと、おもしろい話もあるが、とくに発見はない。整理に追われた感じの末永監督。この数年の「現在」がどう勝負になっているかを際立たせてほしかった。
今日、集団が山奥に人知れず存在できるのか。興味を抱いたが、社会との連絡、さほど人知れずというものじゃないとわかる。小野みゆきの演じる長は、姿のくどさに比して平凡な、ただつよい女性。秘めたものがある感じではない。女性の集団だが、社会への抗議の共有が曖昧。たどりついた人類学者と妖精的少女クシナ。クシナと母親。関係の物語は深刻だが、それが衣装からドリス・デイの歌までの趣味的な遊びにどうつながるか。簡単には説明できないところに速水監督の個性は感じた。
待望のスケボー映画登場と拍手したいが、滑りの醍醐味も、滑る若い肢体の魅力も、たっぷり見せたとは言いがたい。成長過程にある四人の若者。ちょっと幼稚すぎないかって感じのキャラクター分けで、それなりに楽しく見せていくが、ひとりだけ家庭が描かれる。父親に殴られている。そしてダメなやつになっていく。父親の罵詈がラップ的だったり、ただのそういうドラマじゃない見せ方もするが中途半端。人のよさを感じさせる菊池監督、もっとカッコよく撮るべきものがあったはず。