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明日の自分に嫌われたくないからと愚直に正しく在ろうとする青年、彼をめぐる人々と出来事以上に映画そのものにイライラが募る。山積みの不快さといえば「フォーリング・ダウン」なんて映画もあった、復讐のヒロインといえば「黒衣の花嫁」よかったなあと逃避モードに浸り込む。明日の自分よりまずは今、ここにいる観客を愉しませる物語りの術、技を練って欲しい。無駄に複雑な構造と演技がうんざりの元凶だ。タイトルを皮肉でなく体現してしまった一作――なんて笑えない。
生温いフィールグッド映画が蔓延する中で、内臓に血の塊を叩き込むような後味の悪さを敢然とその映画の徴としてみせる監督大森の存在は無視し難く際立っている。「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」「ぼっちゃん」「タロウのバカ」、そしてこの新作もやわな同情や感情移入を退けて人と世界の不可解さをきりきりとみつめ尽そうとする(「日日是好日」の異色さはだからこそ改めて吟味したい)。背中と顔、引きと寄り、対置の話術。握りしめた少年の拳をアップにしない矜持に見惚れた。
「トラウマを抱えながらも懸命に生きる人々の姿や、田舎が抱える問題を描き、クスッと笑えるエピソードと共に最後にはホッと温かい気持ちに包まれる作品」(プレス)といったあぶはちとらずの企画の安易さ、この映画に限らずほぼ一年、本欄で出会った日本映画の多くに見られる残念な傾向だと痛感した。笑いも涙もほのぼのもなんとも生煮えだ。と、またしてものうんざり感に苛まれていたら幕切れ部分だけアメリカン・ニューシネマ然と弾けたショット、全篇これでいって欲しかった。
「夜をくぐりぬけていくしかない」島、そこにある海、夕陽、原初の地球の風景に魅せられて4年をかけて撮り続けた監督豊田。その彼に招かれた“アーティスト”たちの言葉は時に上滑りの軽さや薄さ、気恥かしさをも放り出すが、そんな島と人との“セッション”をさえ拒まず受け容れ、自身の歩調で帰り着いた海で、島で、自らの旅を続けるひとりが朗らかに語る覚悟はするりとこちらの胸底へと染み入っていく。来訪者たちの部分なしでもよかったなんて意地悪な感想も呑み込ませる。
拷問のような最初の20分を経て、明かされる入れ子構造。上田慎一郎の「カメラを止めるな!」、あるいは松本人志の「R100」を意識したのだろうか。しかし映画を利用した復讐、というモティーフを描くにあたって、いちいちその映画表現をもちいることの必然性が用意されていないため、これならべつに舞台劇でもコントでもいい、ということになってしまう。ましてエンドロールはスマホの画面であり、これが映画だというならずいぶんなめられたものだと言わざるをえない。
共感も憐憫も拒絶したうえで、善意と悪意の境界に観る者を立たせる大森監督と共同脚本・港岳彦の肝の据わり方。長澤まさみも阿部サダヲも、残忍さの裏にある弱さを所作ひとつで表現しみごとだが、圧巻は夏帆。彼女の可憐さ、実直さがむしろ少年を追いつめていく。長澤まさみの手を取り、やさしく語りかける夏帆を見つめかえすときの長澤の目の曇り。残酷な現実を描くに際して、ただ現実を突きつけるでもなく、人間存在のよるべなさに対する静かな洞察が息づく。傑作。
主演の青野竜平と郷田明希に愛嬌があり、観ているうちにこの二人の行く末に幸福の光がさしてほしいと願わずにいられなくなる。人間にさわることをおろそかにしたくないという辻野監督の視線のあたたかさ、素晴らしい。ただ、その人間の体温をじっくりと感じさせるために、一つひとつのセリフをもっとはっきり言わせない場面があってもよかったのではと思う。すべてがお膳立ての上にまとまりすぎ。スローモーションの使用も、なにかつくりものめいた手ざわりを映画に与えてしまう。
4年がかりで撮られたという作品。自然回帰への切望、アーティストたちへの敬愛と友情があふれ、映画作家としての自己の存在を問いつづける豊田監督にとって、この時間がかけがえのないものであったことがうかがえる。であるからして、この作品じたいがそれらの寵愛を受け同化する人物たちのなかだけでみごとに完結しており、結果として小笠原諸島の美しい自然までもがその閉じた世界のなかに収斂してしまうのも致し方ないことなのかもしれない。「破壊の日」への期待をこめて。
宅急便の配達員が、雇用者とその妻、配達先の客などの悪意に翻弄され、それが直接の原因ではないが、疲労の果てに事故で死ぬ。恋人であるヒロインがそのイヤな人物たちに復讐するために映画を使う。なんという手の込み方か。石田明の脚本。演劇的手法の「嘘」が複層化しているが、芝監督は映画的真実で対抗していない。無理でもやりきったという構造を最後には感じさせる。としても、このタイトルはダメ。ヒロインに彼女が劇中で作る映画をそう呼ばせるのも含めて、ひどいセンス。
長澤まさみの顔ってどういう顔なのか、評者はいままでよくわからなかった。デビューから二十年。ついに見たという気がする。秋子。こんな母親。これは映画史に残る汚れ役だ。息子の奥平大兼、情夫の阿部サダヲ、そして他の出演者も、この秋子から、受けとるべきものを受けとって、見事に、この世界の絶望的な不可解さの一端を形成する。大森監督と共同脚本の港岳彦、二人の持ち味が合わさって存分に発揮された。本作が暴いたもの、私たちに突きつけているものに震えが止まらない。
観光地の民宿が舞台。東京からそんなに遠くなさそうだが、人物たちの意識では東京が遠くにある感じで、時代錯誤的。現代ダメ人間図鑑小物篇とでも言いたくなる、薄っぺらな人間たちをワキにおき、青野竜平と郷田明希の、真ん中にいる二人には、過去と病気、トラウマと罪を背負わせる。それで起こる緩めのサスペンスからドタバタに持ち込んで二人を逃げ切らせるまでというもの。脚本も、辻野監督。人物と画に息の吹き込み方が足りない。ラスト近くで青野が見せる足技はよかった。
住民票を移してまで肩入れして小笠原を撮りまくったという豊田監督。まず、映像の美しさを味わうべきなのだろうが、そういうのもありすぎると、そんなものかと慣れてくる。ミュージシャンや俳優を招いて風景のなかでなにかやってもらうというやり方も、どうだったか。中村達也のドラムなど、やってくれているとは思ったが、作りに行っている感がつよく、監督の素手が感じられない。宮川典継さんの話だけでもっと押せたし、自然そのものにもっと語らせることもできたはずだ。