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え、そうなるの、そうするのと、予想外の言動をしらりと繰り出す専業主婦、平然ととんでもない一歩を踏み出す様(それも一度ならず)に、濱口竜介監督作の微かな影を感じたら「ハッピーアワー」に参加した高橋知由の脚本だった。ただ興味深さが習作の域に留まっている憾みも。真正面の顔の無言でものいう力など素敵な瞬間もあるのに説明的な表情に堕しがちなヒロイン以下、演技、人物像とも煮つめ切れずに終わっていて“運命の人/じゃない人”の主題も尻切れトンボ。残念。
想田和弘監督作「選挙」が“観察”の距離を、被写体――市議補欠選に駆り出された同級生と分かち合い、コメディを抽出してみせたこと。撮る者も撮られる者も選挙という茶番にどこか他人事なスタンスで臨み、それが笑いの素となっていた。対照的に、ここにいる政治家と17年にわたり彼を取材してきた撮り手とが分かち合うのはしゃにむに愚直にことにあたる姿勢。与野党入り乱れてのどたばたを突き放せないひとりの哀感が映画に照り返る。面白みにはやや欠けても誠実、人も映画も。
20年前、フリージャーナリストとして訪れて以来、3年間に20回近く訪問したパレスチナ、その地を舞台にした「劇映画のロケハンもかねたセルフドキュメント」とプレスに書く監督後藤、彼が主演した「東京战争戦後秘話」を見終えたフィルムセンター大ホール、今は亡きS氏のあのちょっと首を前に突き出した笑顔に遭遇したなあと追憶モードに囚われ、そういえばと唐突に脈絡もなく『追想にあらず』も読み始めた、そんな札付きの傍観者の目にも記憶と記録と現在、「壁と青空」は沁みた。
「『天才』と称されるアイドル」(チラシより)を知らなくても、「密着ドキュメント映画、のはずだった――」(同)ものを愉しむことは可能だろう。それができないのは新しい才能や表現に自らを開けない頑なさのせいかと不安に駆られもしたが、いや違う、企画も筋も撮り方も要は退屈なのだと気づく。密着映画のようなものの正体にも、そこにいるアイドル(たち)にも新味を感じ得ないのは、それなりに撮れてしまうことへの甘えが全篇を覆っているからだ。映画をなめないで欲しいと思った。
「螺旋銀河」「ハッピーアワー」の脚本家・高橋知由のダイアローグの妙を堪能する作品。ただ、ことばの力に引きずられすぎたか、俳優たちの演技が終始段取りをこなしている風なのが気になる。それだけに、ふと無音になる瞬間、一人で押し黙っているときの表情がかえって印象に残る。せっかくのロケーション、その風景を写真に撮るというモティーフ、手紙のことば、もっと活かしてもよかったのでは。いまこのタイミングも手伝い、夫婦の距離を見据える視線には大いに同調した。
小川淳也議員、きわめて理知的、論理的なひとだが、彼のことばと行動を追いかけたこの映画は、しかし理知と論理が義理と情緒に掠めとられていく日本の政治的土壌の貧しさそのものを浮き彫りにする。あきらめない小川議員の姿とは裏腹に、日本の政治へのあきらめの感情ばかりがつのってしまう。だが、一方でシニカルに陥ることは田﨑史郎のような食わせ者のジャーナリストにまんまと付け入る隙を与えることにもなるだろう。負けること、苦しむことの先になにかがあると信じたい。
大仰でなく、日本のドキュメンタリー史に残る重要作ではなかろうか。事実を立脚点としながら、この映画は虚と実の境界を止揚し、映画が世界を切り取ること、あるいは世界をつくりだすことの限界と可能性を、すべての作り手と観客に問いかける。その意味でこの映画は、土本典昭が「不知火海」で乗り越えてみせたキャメラと対象の関係性、その先に屹立している。「偶然のテロリスト」というシナリオ題に「傍観者あるいは」と付け加えられたことの意味は、とてつもなく重い。
眉村ちあきさん、お名前は存じ上げていたが、たしかに才気あふれるひとだ。その魅力をさまざまな「大人の男性」が語る導入にやや息苦しさを感じ始めたところで映画は突如、クローンを題材としたSFへと飛躍する。アイドルの偶像性と身体性をめぐるドラマが展開されるかと思いきや、ここからは徳永えりや小川紗良が存在感を発揮するのと対照的に、眉村の身体性が物語の後景にどんどん追いやられてしまう。結果、彼女を取り巻く「大人」の視線にもある種のきな臭さが漂うことに。
貸別荘でともに休暇をすごす二組の若い夫婦と、もうひとり。どの役も下手すると自分が可愛いだけだとなりそうな危うさに対して、宝監督と役者たち、迷いながらも頑張ってなにか引き出したという感触。休暇中なのに仕事する二人が出たあとの、浮気関係にある二人の「弾み感」など、わるくない。脚本、高橋知由。彼が参加した濱口作品「ハッピーアワー」を思い出させる。いまあるものが自分にふさわしいかどうか。それぞれがまじめに反省して終わりということで、痛快さはない。
政治家を追う。それも二〇一七年の民進党解体で希望の党に行ったひとり。「前原さんほど右ではなく、枝野さんほど左ではない」の立ち位置で、社会をよくしたいという情熱と誠実さが売り。しかも大島監督、映画らしさを避けるような画と音の作り方だ。共感線どう引くかと困惑しながら見たのだが、退屈はしなかった。小川淳也議員は、家賃五万以下のところに住み、レンジで温めただけの油揚げが好き。彼を理解する父と母、妻と二人の娘がいる。幸福な家族の物語でもあった。
粗いスタンダードで過去、きれいなヴィスタで現在。後藤監督は、パレスチナを二〇〇〇年から三年間取材した。現在は二〇一九年五月。構想する劇映画のロケハンを兼ねて旅をした。パレスチナにいまもこだわる。その姿、人との接し方、言葉に、変わらない魅力がある。なぜ自爆テロか。一方、なぜイスラエルはこうなのか。踏み込みはともかくとしても、だ。しかし、過去からここまでの時間のたどり方、どうだろう。アブ・アサド作品などをどう見たのかくらいは出してほしかった。
アイドル、音楽、表現。「なんでもあり」でやってしまえと思っても、いろんなブレーキがかかる現実がある。「なんでもあり」がそれこそ自粛的に狭い範囲からの取り込みになりかねない。眉村ちあきの「なんでもあり」は大健闘だと思う。その地力、発想力、機転を活かしたい本作。ドキュメンタリーの地平からの、アッと驚く飛躍がある。存在と表現の両面での「個性」を立体化するような、その思い切りのよさに拍手したい。松浦監督、画が「処理」になりすぎているのが惜しい。