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観察映画を裏打つ想田監督の徹底的に無邪気な好奇心を前にすると「映画のため」ならとの思いと「人として」のもやもやとに引き裂かれる。今回も例えば墓参の山道を往く老医師夫妻を追う終幕、手一杯の医師がマッチを忘れていて、仕方なく煙のないまま墓前に立てかけられた線香が切り取られる。カメラを止めて差し延べる手はないのかと一続きのショットに抵抗感を嚙み締めて、それでも撮ることの意味と成果を思ってまた心が引き裂かれる。結ばれた老夫婦の手に涙しつつも。
G・ブラック「女っ気なし」と2本立てで見たいと思った。寂れた海辺の町と人々への懐かしさを芯とした眼差し。単なる好奇の目とも無邪気という名の無責任(な距離)に満ちた視線とも無縁のやさしさがじわじわと全篇を包んでいく。たったひとりの中学生、その未来への思い。海をみて暮らす老人たち、昔日への思い。帰って来るなと言われたのに帰って来たと笑う者。時間をかけて見えてくるもの――近づきすぎず遠すぎない撮り手の奇を衒わない自恃と覚悟がそれを支えている。
SF映画を現実に生きるような非日常的日常の毎日を送る(2020年5月の)今、一週間を日替わりの僕として生きる青年に起きる異変という設定も妙にすんなり受容され、そんな驚きのなさが企画の貧しさのせいなのか、世界の今のせいなのかと、軽く煩悶したものの、ひっかかりのないままに見終えてしまった。7人という割にはふたりの僕しかいなかったかもと小姑的文句を呑み込みつつ、7人格を筋と絡めて演じ分ける中村倫也を見たかったとフォローにならないフォローも呑み込んだ。
「全力」で「頑張る」「運動部」とか、「被災地」とか、安易なイメージのお仕着せの嘘。全力も頑張るも青春も被災地も鵜呑みにされた何かからまず解き放とうという監督、脚本の発想は素敵だと思う。あるいは「応援される側」の本当に目を凝らそうという意図、ホントにいいことよりよさそうに見えることが大事なSNSの嘘へという眼の付け所、はたまた先生役の安達祐実まで子役出身俳優を揃えてみるというアイディアも。そんな構成要素を束ねて大きな力にし切れていないのが惜しい。
こんな事態になり、試写室に足を運べずにいる。よって今回の4作品は、DVDと視聴リンクをもらい、一週間かけて自宅で観た。まず日曜日に観たのがこの作品。前作「精神」にも感じたことだが、山本昌知さんの言葉は患者さんたちに寄り添いながら、同時に聞く人を立ち止まらせるような距離感をもっている。今回は妻の芳子さんとの関係性を見つめることで、夫婦の距離、さらに彼らを取り巻く社会との距離を浮かび上がらせる。鑑賞中、時折モニタに近づき、人物の顔の皺を凝視した。
近頃巻き起こったドキュメンタリー映画についての議論では作り手と対象者の距離をどうとらえるかが重要な課題となっていたが、同時に僕は作り手の加害者性が自明のものとして認識されている状況にひどく違和感をおぼえる。その違和感に対する一つの回答が、たとえば島田隆一の「春を告げる町」であり、この作品ではなかろうか。息苦しい自己言及に埋没せず、目をこらし、耳をすませることで見えるもの、聞こえるものは無数にあるはずだ。月曜の夜、僕は一人の部屋でそう自問した。
この映画を観たのは火曜日の昼過ぎ。フリーの自営業者とはいえ、周囲の活動がピタリと息を止めたかのような時間感覚のなかで観るこの作品は、なかなかにヴィヴィッドに感じられた。七人の人格を中村倫也が演じる、というふれこみだが、その設定をこれみよがしなフックにせず、周囲との関係の摩擦をめぐるドラマとして描き出しているのが面白い。ただ、CM的な口当たりのよさに終始した画作りにいまひとつのめり込めず。これは一昨日に「精神0」を観たことが大きいだろう。
水曜日はべつの用事に消えたため、木曜日の午前中にこの映画を観た。ハッシュタグ付きのタイトルからもわかるとおり、インスタグラムが物語を動かす重要なツールとなる。一方で、少年たちがつどう体育館倉庫や銭湯といった空間、その「三密」具合に、現在の状況との乖離を感じずにはいられなかった。この映画のようにSNSでのつながりが強化され、またいまのように配信での映画鑑賞が常態化すると、ひとびとの心の距離感はどう変わるのか。そんなことを思った。
想田作品、「精神」と「港町」に飛躍点があったと思う。本作は「精神」で出会った医師を追い、「港町」からの延長線という面もある。前半は引退を決めた山本先生と不安がる患者たちとのやりとり中心で、後半は認知症の妻との暮らしぶり。猫や中学生たちの挿入など、無雑作そうにやって決まるのはさすがとはいえ、オーケーの幅の広さが必ずしも作品世界を外に連絡させることにならない。そこに、もどかしさも。想田監督と山本先生。接点をあまり感じさせないのも「観察映画」の方法か。
大宮監督からも多くを学んできた。その構成の自在さが本作は文句なしにすばらしい。人口二百人を切るという飛島。小さな宇宙を舞台に、ひとりに向かうときにその人を取り囲むものをしっかりとつかんで共生感をたちのぼらせる。現実的でかつ詩的でもある。すてきな人、味のある人、生気のある人が、おいしいものを食べている。家の中でも外でも食べる。これこそが一ミリも譲ってはならない人間世界だと拍手したくなった。過去を軽んじることなく、現在がたっぷり。未来も見えてくる。
見終わって奇妙な夢を見たという感じ。吉野監督、オリジナル脚本とVFXも。観客がついていけるギリギリを狙ったとしたら買いたいが、全体の希薄さも狙いだったか。ラスト、深刻顔をはっきり始末してないのはどうか。曜日ごとに変化する多重人格で一番地味な火曜日をベースにした選択は賢明だとして、中村倫也の、他の曜日の演技がわざとらしいのもしかたないとしても、女性たちが表面的にしか存在しない。医師もその助手も、かな。そう考えるとすべてが記号的。それも狙いか。
「被災地」熊本県とハンドボール協会からオファーがあっての企画で、こんな話。「頑張るフリ」からマコト、というふうに持っていこうとしているのだろうが、フリじゃないところでも演技の作った表情しか見えないのが厄介。「青春と並走してきた」という松居監督、自信がありすぎて計算違いか。「適当に逃げて、いい気になってる」と批判される役の加藤清史郎は、ずっと「ごめん」と謝っているような表情。ヤラセが暴かれた「炎上」のあとに並ぶ深刻顔のウソっぽさ。すっきりしない。