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予期した通りに進むお話だが、嫌味なくまとまってはいる。備前焼のPVとしては機能しているとも思う。それ以上の感動や美には欠けるけれど、このくらいのそこそこの出来の映画が当り前にない今だからなんとなく捨て難い気もしてしまう。遠景で都市と焼き物の郷、そこにある光を対比する撮影監督、その出しゃばらない技の手応え。人間国宝の娘役村上真希のきつさの底に湛えられた包容力の演じ方。周囲で支えるそんな実力者あってこその“そこそこ”なのだと妙にナットク。
重箱の隅をつつくようで嫌だが、いくら進取の気性に富み夫に合流しようと40代半ば、単身シベリア鉄道でパリを目指すようなお転婆もしたとはいえ、明治時代に東京麹町の商家に生まれ女学校を出て敬虔なクリスチャンでもあった女性が、家庭でこんなふうに媚態を纏っているだろうか? 昨今の着付け教室仕込みの窮屈そうな着方とは違うとしても往時の和装、ここまでぞろりとしていたか? 等々、本筋でない所で鼻白むと映画を愉しめない。リアリズムでない意匠の映画だとしても――。
「色の白いは七難隠す」なんて古い諺があったがこれは女優の輝きで七難隠した快作だ。佐久間由衣のたらこ唇の泣き笑いが、ワンパターンの腐臭に堕す一歩手前で有無をいわせず視線を釘付けにする。その全身的表情の豊かさ。殆んど子役と動物の無敵さにも通じる巧まざる存在の美にあっけなく惹き込まれた。笑いの向こうにじわじわと自身の弱さの受容という真っ当なテーマをせり上がらせて単なる“あるあるもの”の共感ヒロインを超えさせる脚本と演出の助けも見逃せない。
デビュー作は70万円で撮ったそうだがこの第3作も潤沢な予算に恵まれてはいないのが否応なしに見て取れる。裸電球の下みたいな赤と緑の使い方。白い羽毛が舞う時空――チープを味方につけるかと期待させつつもうひとつキッチュに弾け切れないビジュアルが、組織の中の力関係の鬱憤を描く生々しさと微妙に乖離し続ける。そこが面白味かとも思うが、結局はあぶはちとらずのもどかしさを持て余し消化不良に陥っていく。D・フィンチャー的いやな世界が醍醐味に昇華されず恨めしい。
冒頭、東京の風景にモノローグがかぶさり、主人公の心の空虚さが説明される。そして、彼女はギャラリーで目にした備前焼の皿に惹かれ、ガイドブックを片手に備前の郷を訪れる。となれば、この主人公は土地の職人にその浅薄さを指摘され、やがて陶芸の本質を知り、周囲に影響を及ぼしながら地域や伝統に真に帰属しうる存在となっていくであろうことは容易に想像がつく。案の定、その通りに映画は進む。ルックは端正だが、それはどこまでも地方創生映画としての端正さにすぎない。
いまどき珍しいほど観客の教養を信頼したシナリオが快い。北沢楽天ほか実在の人物への敬意を示しつつ、事実に足をとられない自由闊達さで物語を紡ぎ、現在へつないでみせる手つきの自然さ、いやみのなさ。大木萠監督の正攻法の演出、高間賢治の安定した撮影がそれを透明度の高い映像に昇華している。いいね、シブいね、と拍手を送りたくなった。終始飄々としたイッセー尾形、篠原ともえに対して、重の演技で要所を締める唐組の看板役者・稲荷卓央の存在感にも唸った。
序盤やや平板な空間演出が目立ち、「これはつらいかも」と先行き不安になったが、中盤以降どんどんよくなる。後半は、役者陣が奏でるアンサンブルの心地よさも手伝い、他人事ではない主人公たちの生きた葛藤のドラマに尋常でなく感情を揺さぶられた。ライトなロマコメの殻をまとった心理分析・サイコマジック的な映画が長らくハリウッドの専売特許だったことを思えば、これは大いなる健闘と言うべきだろう。佐久間由衣演じる主人公、ブリジット・ジョーンズのようなアイコンになるかも。
生理的嫌悪感を誘発するオフィス描写と渇いたヴァイオレンスは天野友二朗監督の十八番で、ところどころハッとさせられる瞬間はある。しかし、そのインパクトが人物造形と作劇のステレオタイプをついぞ上回らない。インディーズで撮られた前二作にくらべると、作家個人の怨念の表出とジャンル映画的な処理に齟齬が生じており、描写の露悪性だけが前景化してしまった。ラース・フォン・トリアーを原体験にもつという天野監督。次にどんな手を繰り出してくるか注目したい。
備前焼。よいものがあるとは思うが、値段や、伝統を盾にした一部の思いあがりなどに、よい印象を持ってこなかった。で、この作品。人を拒むようにして作陶に打ち込む男とその弟子となった若い女性の話。これほど展開にひねりがないと、文句を言うより潔さとして感心したくもなる。画の作り方は手堅い末次監督、九〇分でやれたのでは。PR的嘘っぽさの代表というべき主人公ハルカ。本で勉強したことが役立つのがおかしかったが、すっきり演じた奈緒に「関係者」は感謝すべきだろう。
ラストの、帽子が飛ぶショット。惜しくも決まりそこなっている。同様に、そこまでも、狙いありでも半端になったり、そもそも歴史への態度が曖昧だったりするところがある。とくに戦争期の人と社会へのつかみが甘い。思い切った見せ方の試みも空振り気味。イッセー尾形の楽天は、起伏を生きぬいてきたと感じさせるが、橋爪遼の演じる青年期との連絡は希薄だ。楽天だけでなく、それぞれに未来をもつ漫画家の群像に対する大木監督の表現者としての思い、もっと出してよかった気がする。
こういう女の子が存在すると押し切る前半。佐久間由衣、緩急、強弱の切りかえが楽しい。くっきり感ある画に、わざとらしくてもホンネ度高いセリフで、複層的な心理表現ができている。そしてシェアハウスの、ヒロインの帰りを待つ二人に味がある。男性たちの描き方から、作品として正解に向かうことへの微妙な不安まで、三木監督は型通りの型をそのままにしない。隠れビッチじゃなくても、これを見て自分を見つめなおしてほしい人がたくさんいそうだと言ったら叱られるだろうか。
まだやるのかと言いたくなるような、トラウマを抱えた存在が囚人となるまでの物語。山中アラタの主人公は父親の虐待を受けて育ち、妻は不妊症からウツ。職場は陰湿。男女ともに怖いやつ、いやなやつが揃い、この男の精神を崩壊させていく。登場する全員が「現代社会」の犠牲者で、あやつられるように動くだけとも見えるが、被害妄想の幻影と現実の区別がつかない状態なのだ。個性といきおいをもつ天野監督、音楽とイメージショットによる濃い味つけで失うものにも気づいてほしい。