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またしても“漫画が原作映画”の顔芝居かと、最初は嫌悪感に呑み込まれそうになったのだが、玉城ティナの嵐のような暴走ぶりに巻き込まれ、その底に厳然と息づく清らかな若さの結晶のようなものを垣間見せられるにつれて、ここでないどこかを夢見る少年と少女の当り前の青春の苦しさをまっとうに語る映画の核心が迫ってきて圧倒された。夕日の海での再会。波打ち際の3人と甘い調べ。70年代仏青春映画をふっと思わせていい。それだけに最後の歌は余計かも。
「宮本の行動に関して後半はただ唖然としてた」(プレス)と原作の凄みを語る真利子監督。その手になる映画版も、終盤で暴力が啞然を超え涙と笑いと呆然へと至る。観客をそこまで辛抱させる演出力は「イエロー・キッド」「ディストラクション・ベイビーズ」のパンチドランク状態、苦痛の果ての爽快感の差し出し方で証明ずみだが、今回の絶叫芝居の畳みかけは、重低音を効かせた音楽と拮抗する不条理なまでの寡黙さあってこそ目を撃つ映画の身体性の美を殺す方に働いてしまった気がする。
今世紀の初め、韓国のタランティーノか深作かと注目されたリュ・スンワン、その「クライング・フィスト」の一景――ドレッドヘアのチンピラが川辺のチェイスを繰り広げ、上がる水しぶき、それが白く光を反射して砂粒のような残像を結ぶ度、時空が凍りつき歪な塊りを抱えた青年の心模様を掬い取った。そんな活劇場面の、人工的処理をものともしない生々しさをこのEXILE仕掛けのシリーズ最新作のモブ・アクションを前に想起しつつ、無闇な反復が招く単調さを免れ得たらと夢想した。
普通に呼吸できる穏やかさを芯とした映画を久々に見た気がして、秋の初めのよく晴れた日の涙ぐましさにも似たものを愉しんだ。監督の前作「愚行録」の人を見る目の静かな厳しさとも通じるそんな質は昨今、稀有な美点だろう。ただ原作の音楽にまつわる大きな感懐、人が生まれながらに抱いている寂しさを歌うといった叙述を裏打ちする言葉の力に勝る映画の力という点では物足りなさも少し。天才児たちを審査する元天才児たちのやりとりの面白さも映画に活かして欲しかった。
凡百の監督であれば陰鬱で露悪的な表現に落とし込んでしまいかねない題材だが、思春期映画の正しき継承者である天才・井口昇は、原作漫画とがっぷり四つに組みあい、透徹した少年少女の通過儀礼の物語に仕立て上げた。教室をメチャクチャにするシーンやテント内のシーン、ラストの海のシーンに顕著な80年代アイドル映画、ATG系青春映画の手ざわりも、咀嚼され血肉となった表現だからこそ深い感動を呼ぶ。2010年代の掉尾を飾るにふさわしい青春映画クラシックの誕生だ。
真利子哲也の単独脚本だったTVシリーズと異なり、共同脚本に港岳彦が参加している点に注目。原作のもっともハードな展開を映画化するにあたり、このタッグは大いに奏功し、新井英樹作品の特色である日常空間が突如として禍々しい場所に変わる瞬間がゾッとする緊迫感と嫌悪感をともなって現出した(それだけに性暴力シーンは鑑賞に注意が必要だ)。激情の底に繊細さをしのばせた池松壮亮と蒼井優に大拍手。ピエール瀧、佐藤二朗ら現代の怪優たちも一段上の本気度で応えている。
ヤンキー文化の到達点というべき度を越した虚構性、その凝縮と拡大のスイングで見せきってしまうハイローシリーズ、今回は不良漫画の雄・髙橋ヒロシの色が加えられ、ややジュブナイル路線への振りが大きい。イキのいい若手役者陣はそれぞれに魅力的(個人的には山田裕貴と前田公輝にいたく惚れた)。河原での集団戦、廃墟団地での最終決戦もそれぞれに趣向を凝らして見せる。惜しいのはジュブナイル描写との落差で、この部分に映画全体を下支えするだけの濃度とテンションが足りない。
松岡茉優の表情演技の素晴らしさにまず心揺さぶられる。「絵に描いたような普通」を難なくこなす松坂桃李ら主要キャスト4人が皆好演。一部の人物や展開に見られるややきつめのカリカチュア、象徴主義的なイメージの多用、演奏吹き替えによる動きの不自然さなど首を傾げたくなる箇所もなくはないが、清涼感と緊迫感は途切れず、最後にはじんと胸の奥が温かくなった。この規模の映画なら通常想定されるであろうタイアップ主題歌を流さない姿勢も大いに買いたい。
ボードレール。人間と世界の全体を見る目を失った詩の元祖か。その毒をよしとするデカダンスに逃げ場を求める者は多い。日本の田舎の中学生がそうなってもふしぎはない。そこからの物語。主人公の二つの時期を演じた伊藤健太郎には、大変だったねと言いたい。いいのは女の子たち。この世の極北に達するような問題児の玉城ティナに加え、他の二人も内側の泥を自覚してかつ魅力的。井口監督、乗っている。変態性以上に生を救いだした点で、過去の思春期物の秀作に一矢報いるものが。
冒頭の音楽の入れ方からして説明的。演技も、いまっぽさの一方で力みすぎの芝居が入る。池松壮亮も蒼井優も果敢に汚れ、バクハツ的な人間味へと健闘する。それは認めるが、正念場の、非常階段の決闘を終盤におくためか、時間が行ったり来たりする。わかった成り行きをなぞる構成ではないか。真利子監督、共同脚本の港岳彦。ダサいほどの、必死の、なりふりかまわぬ奮闘にこそ人間の実があるという通俗哲学以上の何を拠りどころにしたのだろう。出会うべき本当の敵を見逃している。
途中の「理不尽さをこえてバカみたい」というセリフ、作品全体のことかと一瞬思った。ここまでエスカレートした学園アクションを支えるのは何か。原型を探れば大昔までさかのぼりそうな人情物とヤクザ的暴力の相互依存。漫画も映画ももっぱら当座しのぎの業界的無能さが、反知性で何が悪いという風潮におもねってもいる。だが、と言うべきか。久保監督は画の質感にこだわり、大内アクション監督は時代劇的と香港的の融合の先を狙う。楓士雄の川村壱馬に懐かしいB級スターの味。
恩田陸原作の扱い方とは別に、石川監督は音楽について何を「発見」しているだろうか。世界が鳴っている。それに気づくことからの一般的な理解の道筋にはないものに出会いたかったが、ていねいだけど冒険はしないカメラとともに、程よいところで手を打った感じで物足りない。才能というものについてもそうだ。それを生み育てる一方で頓挫もさせる社会が見えない。天才じゃない松坂桃李にもう一言言わせたいし、沈黙のショット、もうひと押しあっていい。使われた演奏の質は高い。