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恋のやせがまん合戦は往年の聖林ロマンチック・コメディからM・リングウォルドの学園ロマンスまで、恋愛映画の王道だが、ここではパターンが微妙にずれて、例えば恋の三角形より姫と王子を囲む面々の主従関係が筋を支え、要はハラハラを呼ぶ対立要素が欠落し退屈が蔓延していく。そもそも実写化する意味があるのか。下田淳行Pファンとしては欲求不満が山積した。橋本は下半身の重さが旧時代アイドル(吉永小百合や内藤洋子)の条件を継承していて、そこだけちょっと興味深い。
横浜、野毛。川がある街の裏通り、キャッチボールの3人がモノクロにゆらめいて夏が染みるオープニングにはざわりと胸が騒いだ。そこに立ち戻るエンディングではだが、騒いだ心が虚しくどこかに消えてハードボイルドの骸を無理やり抱かされたような後味を嚙みしめる。形あって心なし――というわけでもないとは思うが、物語の要素をつめ込みすぎて肝心要が見えてこない。やさしすぎる弟分が探していた姉とすれ違う昼下がり、吹き抜ける風等々時々、素敵もあるので余計に惜しい。
70年代末米映画の掌篇「ガールフレンド」を懐かしく想った。駆け出しの写真家と詩人志望のもうひとり。NYで暮らす対照的な女子ふたりを映画は追う。若さと生きることのやっかいさを思う点では「自由奔放な大学生起業家と“無難is Best”な大企業OL」(プレス)、対照的なふたりが友情の花を咲かせるこの21世紀の物語もかけ離れた所にあるわけではない。ただ類型化された人物を迷いなく類型的に演じさせる一作はパーソナルな演技に支えられた前者の忘れ難さを射ぬけずに終わる。残念。
バンド結成30周年の記念映画、それもドキュメンタリーや実話ベースの物語ではなく、オリジナルの青春映画 というセールス・ポイントを除外しても何者かになろうとあがく青年の腐臭すれすれの上昇志向のしぶとさは“いまさら感”を徐々に蹴散らし、奇妙な捨て難さに手をかけていく。そのじわじわとした磁力のようなもの。それは背景をとばして人の顔に肉薄する撮影福本淳+照明市川徳充の力に因るところ大だろう。あるいはそれなしではうんざりだけが降り積もった!?
冒頭いきなり安手のバラエティ番組の説明VTRのような代物が映し出され、暗澹たる気分になったが、平野紫耀と橋本環奈の駆け引きが始まってからは、個性豊かな二人の演技を楽しんだ。ところが演出がいちいち彼らの身体性を封じ込めてしまう。この映画に限らず、近年の漫画原作物は役者の身体性をアニメ的表現に寄せていく傾向が強いが、漫画の映画化だからこそ被写体の身体性をいかに信頼するかが肝なのだ。一方、佐藤二朗のギャグシーンはあまりに野放しでクスリとも笑えない。
全体に説明過多な場面が多いが、和泉聖治の職人的手腕でさほど気にならない。いかにも北方謙三的なキザな主人公と理想化されたヒロインも加藤雅也と中村ゆりの適度な抑制で快く見ていられる。余貴美子、ビートきよし、火野正平(最高!)らベテラン勢に比してヤクザのボス格が弱く、人身売買の恐ろしさを具体的な画で見せることもないので、ハードボイルドが空回っている印象。ただ、ハマの住人としては、映画を観終わってすぐ野毛の町へ繰り出したくなるくらいの吸引力はあった。
演出が役者の身体性を信頼しているため、抑圧→解放という作劇にカタルシスが宿る。タワーマンションや高層ビルから眺める都会、建設中の新国立競技場など風景の象徴性も巧い。それだけに脚本にいまひとつの繊細さがほしかった。効率性をもって開かなかった支援者の心が「子どものために」で開いてしまう展開は予定調和すぎる。ちなみに、一見カリカチュアがきつい上白石萌音や山本耕史のキャラクターは、一時期ベンチャー企業を集中的に取材した評者の目から見ても十分リアル。
型通りの葛藤、型通りの挫折、型通りの恋愛劇……驚くほど陳腐なストーリーと人物造形のうえに、過度なモノローグはじめ延々と説明的な演出がつづく。the pillowsの歌が好きな人なら、合間に挟まれるコンサート場面や音楽場面で持ち直すのだろうが、そうでない評者のような観客にはひたすら退屈。ファン映画であるとしても、もう少し趣向を凝らしたフックがなければ、あまたある青春映画のなかに埋もれてしまうだけだろう。主演の岡山天音の嫌味のない朴訥さがせめてもの救いか。
平野紫耀と橋本環奈。ファンには申し訳ないけど、ちょっと心配になるキャスティング。なんとかなっているのは河合監督の腕が大きいか。自分からは絶対に告りたくない二人の「頭脳戦」、実は周囲のどんな「低脳」にも二人の恋心はバレている。そういう徒労的努力のミニマル版なら、天才でなくても普通の心理の劇として経験することだろうが、中身らしい中身はこれだけ。この嘘、だれが夢見ているのか。どうせなら、二人の「好き」と無内容をこの世のなにかに対決させたかった。
北方謙三原作で和泉監督の作るヒーロー像は、裏社会の連中にも動じない画家。腕力ある芸術家なら現実にこれに近い人はいる。でも、そんなに気どってるはずないよと加藤雅也に言いたくなった。どの人物の顔からも生気を奪うような平板な「スタイリッシュ映像」で、物語の運びは犠牲にしてもとにかく雰囲気を出したいのだろうが、どういう涙をこらえてのハードボイルドなのか。B級的楽しさの芽はあっても、後半の刺青のエピソードその他、こんなときに何やってるんだと呆れた。
画がどんどんよくなって、最後には大拍手したくなった。上白石萌音と山崎紘菜、対照的な二人の若い女性が言葉と体で振幅大きく感情を表現する。そこに生まれる躍動にカメラが呼応する。この決め方。鮮度あるポップ感と色彩で包んで、池田監督ってこうなのかとうれしく再認識した。それと驚くのは、芯となる「起業」プランのまっとうさ。小児科系や保育所関連、社会が必要とすることで太く押している。なにか昔の東宝的にキレイゴトすぎるとしても、学びたくなるものが随所に。
カメラマン志望の、ラーメン屋で働く青年。人との関係のなかで助けられ成長していくが、演じる岡山天音が弱い心をいい感じで出していて、身につまされた。ラーメンの葱をまちがえて入れたあとの対応の拙さからの流れなどだが、そこに登場もした原案者山中さわおとオクイ監督の、たぶん人生経験に培われたものが味になっている。写真の出てくる作品にふさわしく、撮影もていねいだ。ただ、せっかくの音楽を活かしきっていなくて、時折まじめさに沈み込む調子になるのが惜しい。