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世界が、降り続く雨に覆われているという物語の基本構図が、まず良い。そこには、すでに天変地異が日常化した日本列島の明日が見える。しかも豪雨が集中するのが東京、というのも楽しい。そこで、故郷を棄ててきたものの、東京は怖いというイノセントな少年と、親代わりに弟を養う少女が出会う。少女が祈るときに起きる奇跡とそれがもたらす代償。新宿や池袋、田端あたりの風景の、実写では感じられぬ肌触りにアニメの力を感じると同時に、最後の東京の姿に、これで良いのだと納得!
百年前に「子どもを救え」と書いた魯迅の言葉は、状況こそ違え、いまでも生きていると思うが、この映画は、それと逆に、子どもこそが世界を救うと訴えているようである。実際、主人公のテツオの活躍には目を見張る。彼は、周りからバカだけどと言われながらも、出会う大人も、友だちも、福島から保養に来た少女も、果ては自身の父親さえも、元気にさせ、自分を取り戻すよう促すのだ。それに較べて周りの大人たち、優しいだけで愚かなこと。ただテツオは、あのイワンに似すぎてないか?
悠嵩に扮したこんどうようぢの、一見儚げでありながら、毅然としたところのある佇まいが魅力的だ。だから、航平(ジョーナカムラ)が、彼に惹かれるというのは、わかるのだが、それが「溺れる」というほどになる、そのあたりの心の動きが、いまひとつ不明。むろん、それは言葉で語られるべきことではなく、航平の暮らしのありようから示される必要があるが、そこが弱い。LGBTの当事者が見れば、そんなこと吹っ飛ばして共感するのだろうが。カフェのママのプリシアが格好よかったけれど。
俳優陣に感心。和彦(皆川暢二)が、銭湯で百合(吉田芽吹)から高校の同級生と声をかけられた時、彼女をすぐに思い出せない感じの表情が秀逸。また、これは演出にも関わるが、松本(磯崎義知)が死体処理をするのを、和彦が自分の仕事が奪われたと不満げな顔を見せるのが、ありがちで可笑しい。チャラそうな表面とプロとしての裏の顔を自然につなげる磯崎も、普通の娘らしい感じの吉田も良く、平凡な和彦の家庭と銭湯の裏稼業というアクロバティックな組み合わせをうまく生かしている。
キャッチにある「世界の秘密」だが、それを知ることになるのは普通の子供二人。これがいつでも新海的世界像の鍵で、彼らは選ばれ、もてあそばれている。誰に。今回は「天」に。天の「気」とはよくぞ言ったものだ。もっとも二人には、空が作る光の道しるべに反応する能力がある。能力ではエリートみたいか。誰にでも見えるのだが、たまたまそれを別個に見たせいで二人は巡り合ってしまうのだ。上昇する水滴、水泡の主題は宮崎駿を継承するが、新海映画の子供はそれを操るわけじゃない。
星が少ないのは長すぎるせい。それに悪い意味で「カッコつけてる感」がある。スナフキン青年とか。話は面白い。「青い鳥」物語を反復する構成で、特にクライマックスに向けて少年も少女もひたすら走るコンセプトが効いている。景色も良いしね。ただ、少年を利用したと反省する女性が出てくるのだが、それなら反省しなきゃもっと良かったではないか。走る回数も減るし。主役の座を勝手に譲るのも感心しない。「お前が世界の中心か!」と叱る大人が何故いない。そういう世の中なのかな?
実はLGBTという言葉の意味を初めて知った。それプラスQも。これがニクい。俺はQかも。知らない人は反省しつつこれを見なさい。妻に捨てられた中年男がふとした勢いで美少年と恋に落ちる。男は何とか娘に情況を理解してもらえる。病床の父に自分の性的嗜好を伝えられない美少年は、さてどうなるという話。撮影が素晴らしく、かなり得している感じ。ドラマ構成上やむを得ないのだろうが、わざわざ海岸でセックスする必要あるのかな。それと結構お説教臭い。これは大きな欠点。
元同級生が通ってくるというので、銭湯に就職する若者。東大法学部卒、一度も定職に就いたことがない「困ったちゃん」である。引きこもりに近いが、銭湯の意外な使用法を知ってしまい連続殺人トラブルに巻き込まれる。死体処理なら洗い場が一番、というとぼけた理屈で分かるようにブラック喜劇。反社会的自分が誇らしくなり、もっと危ない橋を渡る同僚に嫉妬する心理もすんなり納得させる。この「ほのぼのさん」ぶりが貴いのだ。彼のご両親が意外と頼りになるのもどたん場で生きる。
美点と欠点を弁えたプロデューサーの制御が効いた前作と違って新海誠の自由度が広がった結果、現代の天候や代々木の傷天ビルを取り入れるセンスは突出するが、短篇型の作家が戦略なく長篇を作ることで串団子状の構成に。描写の深まる箇所は全てPV的な処理で誤魔化されてしまう。〈女と銃〉の扱いの悪さは活劇の不感症ぶりを露呈させ、警官を突破する描写も工夫なく繰り返される。実写のトレースでしかないので、東京の風景に変化が生じても想像力が加算されないのもつまらない。
演技を含めて往年の児童劇を思わせるのは、地元の演劇イベントの発展的な形での映画化だからだろうが、ロケーションの魅力と共に子どもたちの初々しい存在が際立つ。福島を絡めた設定も実際にこの地区で行われている交流を基にしているので無理がなく、子どもを介して大人の主張を代弁させる愚もない。大部分がカラーではないが内容に相応しかったかどうか。子どもたちの影を表すにしてはデジタルのモノクロは無機質。太陽が照りつけ、鮮やかな緑の中で躍動する彼らを観たかった。
タイトルは軽薄に見えるが、繊細に作り込まれた画面に引き込まれる。安易にLGBTが作劇に盛り込まれがちな昨今、男同士だからこうなるはずだという偏見も、周囲が過剰に反応することも、理解が良すぎる善人ばかりというわけでもなく絶妙な配分で性差を無効にする普遍的な恋愛劇として撮られているのが良い。主人公が娘にカムアウトする場面の処理はまさに象徴的。梅垣義明が「東京ゴッドファーザーズ」の延長と言ってしまえばそれまでだが、悪ノリすることなく脇で存在感を見せる。
銭湯でバイトを始めたばかりに夜な夜な死体の解体作業まで手伝うはめになった高学歴ニートの主人公という、韓国映画のリメイクかと勘違いしそうなほど着想が秀逸。つまらない倫理観や正義感で映画が停滞することもなく、絶叫に浪花節もすっ飛ばし、日本映画につきまとう贅肉を削ぎ落として、世界で商売できるエンタメを無名の俳優監督トリオが生み出したのが痛快。低予算を言い訳にせず、アクションまでもチープにならずに構築するこの才能を活かせなければ日本映画に明日はない。