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多摩川の河口付近の干潟に生息する蟹と、それを十数年、観察・研究してきた吉田唯義さんを撮ったドキュメンタリーだが、実に楽しい。まず、蟹の種類の多さに目を見張る。また蟹のセンサーが目にあって、ふさがれると動きがとれなくなるとか、種類によって巣穴の形状が違うとか、脱皮や交尾の様子など、まさに蟹の惑星探訪記を見るよう。同時に、最近蟹の種類が減ったのは、干潟の表土が削られたためで、それが東日本大震災時に起きた東京湾の津波によるかもしれぬという話に我に返る。
挨拶に困るね、これ。世界旅行の招待券が当たった二人が行くのがシンガポールというのは、当人ならぬ製作側の懐事情でもあろうから、文句はないが、カメラが、彼の地ではなく、歩き回る二人にばかり向けられるので、観光映画にもなってない。後半に到ってようやく、相棒と行きはぐれたニーナが独り街を彷徨うので、これで映画が始まるのかと期待するが、ただ、街をウロウロ歩き回るだけで発見もなければ緊張もない。最後は都合よく現地の家族に助けられるのだから、気楽なものさ。
たぶんに文学的ではあるけれど、このタイトルは悪くない。暗さと明るさが重なり合う微妙な均衡のなかにある束の間の時間。確かに、中学生というのは、それと自覚することもなく、そのような時間のなかに身を置いているのかもしれないとも思う。それ故、作り手も、下手に彼ら一人ひとりの内面に立ち入ることなく、むしろ淡々と、それぞれの状況を描きだしているところに説得力がある。接点は音楽か。だからといって繋がるわけでもない。ただ、一つの場を共にすることにほのかな光が射す。
きっちりエンタメしている。他人の善意によって救われた命というのは、当人にとっては相当な重荷になるだろう、まして、それが5億円に相当するしたら、というのが出発点。かくて期待される人間像からの逃避プラス5億円という枷も背負った主人公の旅が始まるのだが、親切なホームレスに出会い、あやしい風俗店で働き、得体の知れぬ契約仕事を受け……と、それぞれのエピソードは、それなりに面白く出来ている。全体に都合よくいき過ぎてないと言いたくなるのはグッと堪えて。
「東京干潟プロジェクト」と名づけられた連作の一本。もう一本の「東京干潟」は多摩川河口にシジミを獲って暮らすあるホームレス老人の半生が主題になっている。こちらは定年後の人生を、干潟に生息する様々な蟹の観察に当てる老人が主役である。色んな人生があろうが、本来これらは合わせ技で一本、という感じじゃないかと思う。要するにこれだけでは弱い。とはいえ、超接写で捉えられた蟹のフォトジェニックな美しさとか、群生が大挙してシオを招く様子の面白さとか貴重な画面。
監督が「大和(カリフォルニア)」の人でキャストもかぶる。期待されて当然だが、褒めるレベルには達していない。プレスにあるように「スマホ動画、SNS、自撮りアプリ」等の異なるメディアを駆使した画面作りには興趣を覚える。それ以外の画質の件も詳細は書かないが実に凄い。またドキュメンタリー映像として現れるシンガポールの幾つかのスポットも画面はいい。もう存在しない場所もあるそうで有意義。だが結果は、それでどうした、という感じ。長く再編集したのが裏目に出たか。
日本には何故かビルの屋上映画というジャンルがある。例えば「ゆけゆけ二度目の処女」とか。屋上とは逃げ場所だったり居心地のいい場所だったり、この映画では両方だ。赤の他人同士の三人がとある事情で、廃ビルのてっぺんに集う。ロケが素晴らしい。また、場所がどこか分からなくなる趣向が効いている。それにしても私には、この映画で興味を覚えるのは主人公の父親の水橋研二だけなので、評価のしようがない。私に見られたのが本作の不幸であった。ごめんなさい。評価は保留とする。
自分の「生きる」価値は五億円。というので「清算する」ため、それを稼ぐ旅に出る少年の話。稼げば降りられる(人生から)、という理屈である。中二病っぽいコンセプトだが、そこを免れているのは風俗で男を買うお嬢さん(実際には失敗する)とか、謎の便利屋とか、過剰に世間を気にするお母さんとか、脇キャラの喜劇的部分が楽しめるからだ。寓話的な雰囲気は「サリヴァンの旅」を思わせる。藤子不二雄の漫画「フータくん」という線でもあるな。何かと(世間に)感謝疲れの少年も好演。
多摩川河口の蟹の生態よりも、その研究を続ける在野の吉田氏の生態に魅せられる。柔らかな口ぶりで、好きが高じて今に至るという感じのまま地道にデータ集積を行っている姿がなんとも良い。孫娘が蟹の研究に接近しかけるが、長じて離れていった挿話を淡々と語る姿にも偏執的な研究を続ける人には珍しく穏やかな人柄が見えてくる。それゆえに震災後の異変を語る姿にもトンデモやこじつけではなく、そんなことがあるかも知れないと思わせる。羨ましくも幸福な〈かに道楽〉だ。
ロードサイドの画一化された風景から逃れるようにシンガポールへと向かった主人公たちが、そこでも日本と変わらない画一化された風景から逃れられない世界の閉塞性を、風景と人物を見事に溶け込ませた撮影で際立たせる。かつての少女たちが8㎜カメラを互いに撮り合う映画は男性目線の少女幻想に依拠していたことを思えば、自撮り棒と自撮りで愛想を振りまくでもなくカメラを見つめる女性たちの強い眼差しを積み重ねていく本作は〈21世紀の午前中の時間割り〉と思わせる。
古典的な悩み多き青春映画だが、新宿の軍艦マンション屋上という舞台装置が良く、開かれた密室である都市の屋上に寄り添う若者たちが醸し出す気怠さが、「ゆけゆけ二度目の処女」とまでは言わないにしても惹かれるものがある。屋上から見えるラブホテルの一室へと都市の密室から密室へと移動する終盤の展開も好みだが、一瞬外から眼にしただけで正確に部屋の場所を割り出して辿り着き、踏み込むことが出来るものかしらと思ってしまう。如何にもという陰鬱な雰囲気が全篇を覆う。
重大事故で助かった若者もそうだが救命関係へ進むことが多く、本人の意志なら兎も角、定期的にマスコミへ晒されることから社会貢献の出来る仕事を選ばざるを得ない面もあるのではないか。災害や基金にしても匿名の第三者があたかも債権者の如く出しゃばってくる現代に相応しい企画だ。もっとも家出した主人公が労働を重ねて社会の実情を知るという展開はありきたり。海外での超高額医療を基金で行う問題にも踏み込んで欲しかったと思うのはないものねだりか。望月歩が出色の演技。