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上・下2巻という浅田次郎の原作は知らないので、そもそものポイントがどこにあるのか不明だが、映画は群像劇としてもおざなりで、フランス・ロケで浮き足立っているとしか思えない。ま、フランス・ロケに関しては、ルーヴルやヴェルサイユ宮殿ほか、観光気分で楽しめるが、2組の日本人ツアーの設定やキャラなど、実にアホらしく、作家役・水谷豊のナリフリときたら、楳図かずおの〝まことちゃん〟もかくや。劇中劇がまた学芸会レベルで、売れっ子(!!)橋本一監督、もっとキチンと。
愛人生活を送っている受け身の女・安藤サクラ。無為無転、男から呼び出される以外はほとんどベッドで眠っている。そんな彼女の心の動きを、シンプルかつストイックな映像演出で描きだし、カラーだがモノクロ的な雰囲気も。とはいえ、かなりいい気な女の話で、自分は半睡状態で何かが起きるのを待っている。自殺した〝添い寝〟嬢の友人はさしずめ待てなかった女で、愛人の妻で昏睡状態の女は待たせる人。あ、そうか、本作は「もらとりあむタマ子」の、都会派ネガティヴ版だったのね。
龍三役の藤竜也以下、ベテラン男優陣が全員、タガを外した演技を楽しんでいる。北野監督も元ヤクザのジジイ達を思いっきりバカさせている。「アウトレイジ ビヨンド」で冷酷なワルを演じていた中尾彬を早々に死者に仕立て、車椅子に括りつけて防御壁代わりに使う演出など、内話ネタふうの遊びもある。でもそういった遊びや楽しさが一向に画面の外へ出てこなくて、自分たちだけで暴走しているの観。古くささや泥くささも内々のジョークで完結、観ているこちらは最後まで蚊帳の外。
食って、働いて、寝る。いや、みんなが集まって食事をするシーンや、外での共同作業などは描かれるが、寝所等にはカメラは入らない。食費ほかの金銭がらみの情報も一切ない。さまざまな人が寄り添い合って暮らす真木共働学舎。学びの舎、というからには、それなり目的や規則はあるのだろうが、ここでは食って働くシーンを映し出すのみ。むろん、それでも見えてくるものや感じることはあるのだが、結果的には奇特な人たちのレポートのようで、本橋監督、彼らを見習えっていうの?
歴史劇パートについて、なぜに黄色人種なのにこれをやるか、と呪うよな恥ずかしいよな気持ちになるが、観ていると舞台の用語でいう「紅毛もの」の如くで、意外と(失礼)良かった。最近の映画「レ・ミゼラブル」だってコーカソイド俳優とはいえ英語版だし、劇中劇という枠組みがあればこれはアリ。船上でのセリフのヴィシー政権擁護的な物言いや全体での王政礼賛が気になるがラストの人情には意外と革命の萌芽がある。現代パートの果敢さ、ロケ撮影と芝居を信じた姿勢を評価したい。
一流の域に達した歌手は歌詞すら必要とせず息や音の響きだけで充分聴かせる歌いをするだろう。ならば俳優は。そこにいるだけで飽かず見せ、時間と空間を満たし物語を感じさせればすごい。そこに達しつつある役者たちの映画。安藤サクラが心地よい肌をこちらの眼に撫でさせる。手持ち撮影が不必要に多いか……いや、主人公のいまは亡き友人と、不倫相手の奥さん(事故により現在昏睡中)、その意識というか霊的な視線がそこを観ている、という表現だと思いこめば気持ちは逸れない。
北野武監督作とはオーソドックスなものへのアンチ、というか、こんなことあるわけない、こういうふうにならない、ということをアリにしてしまう映画表現のタカのくくり方へのツッコミが核にあった。その意識は特に暴力表現において鋭く機能し、観る側はずっとその見事な殴打や銃撃を喰らってきた。また、キマッタ! という映画つくるとそれをうち消すようなものをつくるという波があったが……いや、本作は谷間ではない。なんというか作品歴を統合するかのような映画、これはいい。
撮影が透明。じっくり対象を見て、撮って、見せる、そのやり方がいい。かつて孟嘗君が敵に命を狙われ逃れて明け方に函谷関まで来て、一番鶏が鳴くまで関所が開かぬ決まりゆえ困っていたところ日頃何の役にも立たなかった一人の食客が見事な鶏の鳴き真似をやり関所を開けてしまう、「鶏鳴狗盗」という故事があるが、本作の終盤にそれに似た出来事がある。そこに、この世に無駄な人間はいない、という被写体であるコミュニティの信条が、映像と音響で証明される。胸を打たれた。必見。
パリのホテルに日本のツアー会社がWブッキングした騒動が中心なのにスレ違いのおかしさも、いつ露見するかのサスペンスも皆無。添乗員がわざとバレるように仕向けていると思えたほど。田中麗奈の大仰な芝居も白ける。水谷が演じる作家の綴る17世紀の物語まで入ってきては水と油(あんなワガママな作家がなぜ団体ツアーで来たのだ?)。日本人がフランス人を演じても構わないが「テルマエ・ロマエ」のノリに到達せねば苦しい。橋本一にとっては「茶々 天涯の貴妃」以来の空転。
1作目の「星影のワルツ」には手探りな部分があったが、カンのいい女優を得た本作は若木の本職の持ち味を活かして〈女優が撮られている〉。古めかしいATG風味というか「もう頬づえはつかない」な雰囲気だが、安藤と井浦だと成立する。撮影者の存在を常に画面に感じさせることが美点に思わせる稀有な映画だ。安藤は横たわることが多いが、それによってフェイスライン、腕の肉も片側に寄せられ変形する。横になることで起きる肉体の変化で魅せる安藤の全身映画女優ぶりに感嘆。
日常に転がる暴力に笑いを見出した初期作を除けば〈笑〉を志向した作品は尽く失敗した武映画で初めての成功作。ベテラン俳優にもったいぶった間を取らせないために台詞をテンポアップしたことは、これまで間延びしてきた映画の〈笑〉にも影響を及ぼしている。いまだ肉体の美しさがフィルムに映える藤竜也が、たけし以上に華があるという点でも異色の北野作品。クライマックスのカーチェイスにスピード感がまるでないのは残念。たけし・藤・吉澤健の並びに大島渚と若松孝二を思う。
土の匂いのしない田舎暮らしを賞賛するだけのハンパな劇映画が相次いで公開されて辟易していただけに、カメラが土地と暮らす人々に寄り添い、そこで流れる時間に溶け込む本作の心地よさは格別。何を言っているのか分からない〈えのさん〉を、一緒にいると分かってきますと言う女子学生。やがて本当に聞き分けることができてくる。撮影者の都合ではなく、住人たちの生理に映画が入り込んで耳を傾けさせてくれるからだ。「1000年刻みの日時計 牧野村物語」以来の感動を味わう。