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母親からおんぶに抱っこを強いられている主人公のうっ屈した状況は伝わってくる。職場の上司からの理不尽なパワハラも。が話の流れが急に変わり、夏山のガールズキャンプの群像劇に。それにしてもどういう成り行きでのキャンプなのか、主人公をリーダーにした一行の迷走は、とんでもなく雑で危っかしく、しかも母親殺しで逃亡中の若者まで登場、その若者を巡って背伸びする少女あり、嫉妬あり、あげく少女レズまで盛り込まれ、もう何が何やら。主人公と逃亡犯の話だけに絞るべきだ。
幼い弟と、そんな弟の手を引き抱き寄せる少女。後半は、何とも心許ないこの姉と弟の無謀ともいえる道行きとなるのだが、ありがちなエピソードを一切排した2人の行動が切なくもスリリングで、何やらヨーロッパ映画でも観ているよう。そしてじっと堪えている姉役・大森絢音の決して媚びない表情と演技。両親の葬儀でも涙一つ見せない彼女は、事情を知らない弟を母親のように庇い、守る。これが第1作、杉田監督の、2人に寄り添うシンプルな演出もみごとで、ラストの開放感も感動的。
すぐに忘れられてしまう少女、という設定が面白い。さしずめ、過ぎ去ってしまった〝時間〟のように儚い少女。でも少女は、他者と共有したその時間をしっかり記憶して生きている。この少女の存在の不条理性が、振り返る間もない青春時代と巧みに重なり、リアルなファンタジーとしてさりげなく説得力がある。純なる笑顔と孤独感を使いわける早見あかりの〝忘れ去られる〟娘演技も切なく、そのファッションもいい感じ。時間と記憶、そして初恋の不確実さをミステリアスに描いた佳作である。
ドラマの売れっ子脚本家が、嘘というお題で長めのショート・コントをいくつも盛り合わせた幕の内弁当映画。ただ見た目はドーンとボリュームがありそうだが、実際はプラスチック製の幕の内弁当で、とてもじゃないが箸にも棒にも。そもそも嘘だからこそ細部にはリアリティが不可欠なのに、細部がまた安っぽい嘘で、映画を、そして観客を侮っているとしか思えない。ハシャいだ演出も、俳優陣の浮き足立ったキャラ作りも、芸能人のかくし芸大会もかくやで、観ているだけで恥ずかしい。
「ピクニック at ハンギングロック」には似てない。あれはロケの良さばかりの映画だ。正直、最近気づいたが私はガサツな人間でアラフォーの今、親との軋轢、何らかのトラウマなど吹っ切ってしまい、それらが通行手形な場所に入るのが困難。これぐらいのエモーションだと、その不可思議な設定や現象は何、という突っ込みというか、観るノリに冷めが生じもするのだが、画面のパワーはすごかった本作。色合い、陰影は狙ったゾクゾク感に達していたと思う。
監督のなかでは個人的な体験である阪神淡路大震災がこのように物語られ、それがおそらく観る者にとっては東日本大震災と重ねられるということ、それだけでも本作には意義がある。ドキュメンタリー的に、こちらの眼に強い引力をかける子どもたちにやられる。子どもから観た世界。「ドイツ零年」「ヨーロッパ一九五一年」の方向性。その子らの抑えた演技とは逆に、キャメラ自体がくどくなるギリギリまで果敢に芝居をし、よって事物や風景が語り始める。撮影は北川喜雄。
記憶障がいで一日経つとすべてを忘れる女性を愛する男の奮闘を描いた、アダム・サンドラーとドリュー・バリモア主演の傑作恋愛映画「50回目のファースト・キス」の裏返しのような設定で、それに迫る感動があった本作。私の場合、なぜ不可思議な現象が起きているの、それは何、という突っ込みというか気持ちの逸れはこれぐらいエモーション出されると、ない。ノリノリで観た。虹郎くんの部屋の壁のエピソードに泣く。だがこれはハッピーに着地させるべきお話だと思う。
世間一般にエンタメと思われているもののために機能する、一個の巨大で強力な機械の働きを目撃したような気分。すいません、お前は何様やねん、と言われるような偏屈な言い方で。もっとたくさんテレビを観ればこの味がわかるのか。←これさえも、出た! テレビ観ないアピール! と言われるのか。伏線と人物関係が見事に回収しつくされてもそれだけでは感動しない。だが、富司純子の、やはり藤純子と通じる、けして上手くないはずなのに聞かせる歌に不覚にも感動した。
冒頭の小学生の頃のヒロインがランドセルを背負って逃げているカットから現在の彼女がランドセルで走るカットへ繋げる飛躍を恐れずにやってのけるあたりは期待させたが、主舞台の山へ行くまでに30分近くかかり、ヒロインもほとんど喋らない。ファンタジーにもホラーにも徹しきれず状況の提示のみでは、前号の「ら」の様にトラウマを映画的な見世物にまで昇華させる強さはなく雰囲気しか感じない。ヒロイン西田の無表情ぶりと、貴重な妖婆女優と化しつつある内田春菊の怪演が救い。
両親を失って遠くの親戚に引き取られた姉弟という設定以外に余計な挿話は持ち込まず、安易な回想に頼らない厳粛な作りで子どもたちに賭けた演出は支持。眉間にシワを寄せた大森絢音の終始不機嫌な顔がいい。周りの好意に笑顔で応えねばならない苦痛、面倒臭さをこの表情が饒舌に伝える。姉弟以外は記号的な役割しか与えられていないが、弟が病院から持ち帰った懐中電灯、届かない両親への手紙など小道具も記号に終始したのは惜しい。一見静謐な映画だが少女の胸中の憤りは響いてきた。
早見の少し影のある麗しい表情を見さえすれば満足なのだが、主人公にしか彼女が見えない安易な内容かと思っていると他の人とも触れ合い、存在する痕跡もありながら皆が忘却していくという難易度の高い設定に引き込まれる。直球の青春映画として撮られているだけにファンタジー要素の下地が不足しているので突飛な状況をすんなり受け入れるには少々苦しい。主人公の映画監督志望も設定以上のものではない。携帯の自撮り動画は彩り程度ではなく作劇の中心に組み込めたのでは?
映画という嘘の中でさらに嘘をつくのは難しい。思わせぶりな人々と奇妙な出来事は確かに華やぐが、嘘を信じこませる演出と脚本がなければ空疎なだけ。後から言い訳がましいセリフで辻褄合わせをしていては盛り上がるわけがない。複数の挿話を同時に捌けないなら時間を提示するなり、時制を動かすなりすべきだったのでは? 生命の危険よりもその場のノリと感動が優先される出産シーンは論外。エニシング・ゴーズは蜜の味がするが、よくよく考えて作らねば悲惨なことになる好例。