パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
大部な原作を巧みに省略し、再構成した真辺克彦の脚本にまず敬意を表したい。23年前に中学生たちが開廷した校内裁判。とはいえ、回想形式にしたことで、観ているこちら側に一件落着感が作用、ダイレクトな臨場感がいささか薄まった気もしないでもないが、一人の少年の死を巡って広がり浮上する嘘や痛みは、いま現在の方が状況的にはより悪化、それが実感できるという意味では、この手法、成功していると思う。主人公役・藤野涼子の強い目線とキリッとした口元に胸が熱くなった。
森の映像が場違いなほどシュールで官能的。監督の分身らしい加弥乃が拉致犯を求めてさ迷う森のシーン。捕われた女が、その犯人にある種のシンパシーを抱くというのは、決っして珍しいことではないが、でも本作、この森のシーン以外は人物も設定も実に雑で、自分を拉致した男を加弥乃が野放しにするその理由にしても通り一遍。そもそも加弥乃が男に拉致されたときの会話からして互いに媚びているようで、さしずめ薄味のSMゲーム。俳優陣の演技も演出もたどたどしく、森の映像だけ。
目的は反原発。その目的のために世界各地をロケ取材した反原発PRドキュである。むろん、作り手の方々がどんな思想信条を持とうが自由だし、それに沿ったドキュを作るのも勝手だが、ここまで頭ごなしに、しかも最初から反原発という答えを出して描かれると、逆に情報の一方通行と思えてきて気色ワルくなる。つまり、反原発以外の選択肢が全くないのだ。観客に考えさせようともしないで、自分たちに都合のいい取材だけをしているのだ。亡き母親の足跡のひけらかしも私にはイヤ味。
さだまさし的ヒューマニズムにシレと対応する三池監督の職人ぶりがくすぐったい。ケニアで医療活動に従事する大沢たかおを、少しも〝風に立つライオン〟ふうに描いていないのも三池監督ならではで、そう、海外で献身的に働く人々がみなライオンだったら、そこら中がライオンだらけに。ただケニアまでロケした割にはエピソードも映像もいまいち盛り上がりに欠けるような。離島に残る恋人・真木よう子の話もありきたり。でも、さだまさし世界のファンの方はぜひ、どうぞ。
まるで、松本清張なう、な宮部みゆき。とはいうもののこの原作は未読、すいません。かつて「理由」(監督大林宣彦、脚本石森史郎)を観てから原作読んだときに、映像化されたときにアクチュアリティーみたいなもので光るっつーのはやはり面白い、しかも清張より膨らみがあるし、と思いましたが本作もそういう感じ。飽きさせず逸らさせず観せられたが期待の見せ場はすべて後篇の裁判篇にあるようでこれは長大な予告篇かと。本作で初めて認識するような若い出演者が気迫があって良い。
序盤、拙い映画かと勘違いしそうになったが中盤以降から凄みを感じた。はじめ感じた違和は拉致されたヒロインの振る舞いや態度について、そう反応する? そんな風に振る舞う? と受け取ったせいだが、全篇観ると傷つけられることを最小限にするためにそれが正しかったようにも見えるし、その迎合によって加害者を調子づかせたのか、とヒロインは自責の念に駆られる。唸った。はじめわかっていなかったことを観るうちにわからせられたのだ。特殊メイクの用い方にも感銘を受けた。
世界のさまざまな場所での撮影に、過去の記録映像の引用、そして監督の母親が制作していた原発を問うミニコミ紙を発端かつ精神的支柱として、と空間的にも時間的にも広く深く取材しつつこのドキュメンタリーが問題にしているのは現在と未来のこと。これだけヤバいし完全にコントロールも危険の解消もできないのにやんないといけないのか原発……。仏ラ・アーグ岬の再処理工場が建設に取り掛かるまえに住民に聞かれると家電の工場、と言っていたというのがほんとなら酷いなあと。
絶妙の字あまり感と一篇の映画の如き物語性で心に残る名曲『風に立つライオン』が映画に。成立するのかという心配を心地よく裏切る見応えに、邦画界にさだまさしという一ジャンルありと気づき『防人の詩』を口ずさみつつ帰り、家で「翔べイカロスの翼」を見直す。そう、無名者の、多く世に知られることのない英雄的行動、自己犠牲など一貫したものがある、さだ映画。スーダン内戦の少年兵に照応する、日本の救われるべき人々が離島の老人という構造も意義深い(脚本斉藤ひろし)。
宮部みゆきの長大な原作を映画化するには「理由」のような手法か前後篇にするしかあるまい。緩急で言えば前篇は急の釣瓶撃ち。雪に埋もれた死体発見のクレーン撮影に始まり、映画でのベストアクトと思わせる教師黒木華のか細い声、松竹版「八つ墓村」における32人殺しに当たる不良男子生徒による女子生徒たちへの容赦無い暴力描写の凄惨さなど、確かに目が離せないほど面白く、「告白」への映画屋からの返信として観てもいい。ラストは後篇に繋ぐためとは言えいささか連ドラ的すぎる。
阿部定の様に自身の経験を舞台で演じた者はいたが、被害者が監督して再現したのは空前ではないか。これまでの拉致監禁映画への回答とも言える。被害者の思いを一方的に伝える手段として映画を利用するのではなく、加害者への復讐心と被害の拡大に自らを責めてきた贖罪の気持ちに映画で向き合うことでエンタテインメントにまで昇華させている。西村喜廣の助力あってこそだが新人監督としては圧倒的。映画で何を描くかという根源への自覚を持つ水井真希、屈強な表現者の誕生である。
福島を描くために福島を撮らないという選択(実際には撮ったがカット)が効果的。38年前に監督の姉が住む海外で起きた使用済み核燃料の問題を知った母が作った原発を考えるミニコミ『聞いて下さい』を起点に原水爆実験の地を訪ねる構成が福島と未来を示唆する。水爆実験が行われた島々では無根拠に帰島が奨励され、補償金が入ったことで住民感情に亀裂が入る。その光景に日本の今が重なる。それにしても個人が強圧的に情報を発信する時代に〈聞いて下さい〉は覚えておきたい言葉だ。
大沢たかおにただならぬものを感じたのは「終の信託」の時だったが、企画に名を連ねる本作でもケニアの大地への憧憬をたたえた眼や表情に魅せられる。彼の〈眼〉を通した活動という視点が揺るがないので異国情緒も日本文化も押し付けがましく感じさせない。ケニアと長崎が対比される作劇に人体切断に武装グループなど重い描写も組み込みながら均衡を保つ三池の職人力に感じ入る。生死を殊更に特別なものとして描かない達観が、最後に流れる主題歌も素直に耳を傾けさせてくれる。